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  • 『荷風と明治の都市景観』 南明日香著


    日本の景観、とりわけ都市景観を自慢する奇特な人はいないだろう。電信柱が気ままな遊歩を妨害し、散歩の先を眺めると、これまた種類が判別できぬほどの多種多様な広告が高さのバラバラな建物の中で我こそはと主張し合っている。

    見上げる空は電線で覆い尽くされて、こんなに混乱した景観の中に自分が生活していることに驚きを覚える。そして、半世紀前の日本の都市景観をふと思い出す。

    さて、日本は1868年に明治維新が起こりそれに伴う大きな都市改造がなされた。西欧化と称する思想の急速な浸透が江戸景観を破壊し、眼前に現れたのが明治時代の東京景観であった。1923年関東大震災が東京・横浜の景観を破壊し、そして、第二次世界大戦終結時、即ち1945年国内の人口10万人以上の都市が悉く計画的に米軍の爆撃によって破壊尽くされてしまった。

    破壊された日本の都市は、ドイツの諸都市のようには復興されず、アメリカに似せられた効率的都市がライフラインを優先するあまり、殆ど都市計画もない潤いもない、何かオブジェなるものが製造されたのである。

    永井荷風(1879-1959)は日本の大きな都市景観の変化の中でその知性と感性をあるべき都市景観とはどういうものかを考え表現した。荷風は5,6年その感性鋭き20代に欧米で生活しており、当時の知識人の中でも都市を見る目は傑出している。

    即ち、偽物は徹底的に許さず、「御取払ひ御取壊しは昔より御上の好んでなす処。天下の事尽く其の時の間に合わせにして、一ツとして百年の計に出るものはない。」というような舌鋒鋭い文明批評家であった。荷風が景観を論じているのは文明論を語っているのである。荷風の都市論に普遍的要素があるのは、その底辺に自ら体験してきた西洋と東洋の徹底的な文明比較検討がなされているからである。

    この書の内容は、先ず序章として、文明開化の中での景観問題の起源を論ずる。第1章では明治時代の首都計画の歴史を概観し、第2章では荷風の欧米都市体験、第3章では荷風の体験した首都東京、第4章で荷風の『日和下駄』を紐解き荷風の好む東京の景観、そして終章に心地よい都市をめざしてとし、著者の「つまり街区全体として一つの雰囲気が出来上がっていることがよい景観の条件なのである」という観点から、“「欲望都市」から「共感都市」に”というコンセプトを提示し、「近代建築や都市計画が目指したのは均質空間であった。・・・・荷風の都市への言葉は、まさにこの空間と時間の面で都市が人との関わりにおいて豊かになるその数々の事例であった。」とし、「風土」の概念の再考を呼び掛けてくる。(齊藤全彦)