• Book Review
  • 『富士山-聖と美の山』上垣外憲一著 中公新書2009年刊


    「この本は、富士山に関する“文化的”なものの総覧である。富士山の文化史と言い換えてもよい。富士山は山であり、それは自然現象である。しかし富士山は、日本列島という人口も比較的稠密な、文化的な伝統にも奥深いものを持っている国に位置している。当然、この偉大な山とその周辺に住む人々との間に様々な形での交流が生まれてくる。」

    この巻頭にある著者の言葉がこの書の大枠を一気に表現している。が、その内容たるや、比較文化論の研究者である著者の視線が時間と空間を縦横に駆け巡るという点で、その古文書を扱う教養の深さについてゆくのが並大抵ではない。古代の聖徳太子絵伝から読み解く富士山。修験道の祖と考えられる役行者で7世紀に実在したと言われる役小角(えんのおづの)から富士山が古くから信仰の対象であったことを見定め、『性霊集』から日本の各地の山が山岳宗教の対象であったことを証明する。  富士山は現代では唯唯美しい山ではあるが、平安時代の初期の9世紀には大噴火をくりかえして、その後約200年後の『更級日記』の時代にさえも、暑く燃える山であったという。それを鎮めるために富士山の周りに神社仏閣が点在し、12世紀に入ると富士山は静かな山に落ち着くのである。

    そして、室町後期のころに多くの人々が富士山の最高峰にまで登っていたということがフランス人イエズス会士ジャン・クラセの『日本西教史』に書かれているという。そして、江戸時代に入ると富士山はその人気が異常に盛り上がった時期でもあったという。“富士講”という自治組織によって運営された富士の信仰登山はもしかしたら、明治維新を迎えるための市民意識の盛り上がりの一つであったかも知れない。

    富士山は芸術の対象でもあった。『古今和歌集』、禅僧の漢詩文、世阿弥の謡曲『富士山』『羽衣』など。雪舟、池大雅等の画題になり、葛飾北斎の『富嶽三十六景』はヨーロッパ印象派に大きな影響を与えた。近代に入りこの国はナショナリズムの道具として富士山を用いてしまう。そして、21世紀の今、富士山はやっとその平和のシンボルとして世界文化遺産として登録された。世界自然遺産としては認定されなかったが、人類にとって自然と文化は密接な関係にあるはずであり、人類は“平和”がいかに貴重なものであるかをこれからも富士山から学ばなければならないだろう。
    (齊藤全彦)