• Book Review
  • 『屋根』伊藤ていじ文・高井潔写真 淡交社 2004年刊


    屋根のない家を想像できるだろうか。「私の家には屋上はあっても屋根らしきのものはありませんよ。」とマンション在住者からの声。マンション建設が当たり前のように席巻している現在「オフィスビル・諸官庁・アパートの殆どすべては、基本的には箱であり、当然の結果として屋上は水平である。」明治時代に京都に訪れた西洋人は朝靄の棚引く京都の薄暗い屋根の美しさに言及しているが、“近代化”が齎した風景を見てどう思われるだろうか。

    しかし、屋根は屋(家屋)の上にあるのに、なぜ屋の根などというのであろうか。屋根という漢字は古代中国には存在しないということは、「屋根はわが国での宛字のようにみえる。」そこで、根とは何かである。「元来はナ(大地)の意味で、大地にしっかり食い込んでいるもの」を示し、ネは植物の根に通ずるものであり、「原始時代の竪穴住居の屋根につながるものであり、ここでの屋根の垂木は大地にくいこんでいる」ということになる。その後、著者は屋内から屋外へ出ることは屋根の中から外へ出ることとして「屋根が空間を作る」に言及し、屋根は構造的なものであると同時に社会的な存在であるとし「屋根はなぜ大きい」にこたえている。そして、屋根が「身分を象徴させる」という議論に、「卯建があがる」とはどういうことか、「棟仕舞は棟飾りでもある」、「軒下で関係づける」というまさに私たち日本人がコミュニティづくりとどう関わってきたのかという文化論そのものを探求する。これはまさに“屋根から考える景観まちづくり”でもある。

    この書は、高井潔氏による写真が全体の8割方を占めており兎に角美しい。『民家』(上)(下)が2002年に発表され、北は北海道から南は沖縄までの民家を写真集にして、重要文化財を含めそれぞれの個人所有の民家の状況を事細かに報告している。恐らくこの『屋根』は、その活動の中から、屋根だけを取り出し、著名な建築史家であった伊藤ていじ氏に文章を頼んだのではないかと推察する。思うに日本全国の民家の写真撮りをしながら、“屋根”こそが、日本人の文化の原点であると思い『屋根』を新たに出版したのではないか。

    人類という動物は、雨、風を防ぐ目的で洞窟などを棲みかとして暮らして来た。ほんの10万年前にはこれが通常の生活であったろう。ほんの10万年とは、放射能汚染がなくなる時間である。人類は10万年単位でものを考えねばならないのだろうか。考えてみれば、原子力発電所という建物には屋根はないと見える。ということは原子力発電所という建造物は「大地にしっかり食い込んでいるもの」という建物ではないと思われる。(斉藤全彦)