行政訪問

行政訪問の実施状況

景観行政団体訪問(報告書)埼玉県川越市


江戸商家の街並みが復活

埼玉県川越市は、埼玉県の南西部、都心から30㎞の地点にあり、人口は約34万人。市の中心街はご存じ、江戸文化を今に残す蔵の街並みが築かれており、毎年、400万人の人が訪れる観光スポットとなっている。 「小江戸」という代名詞がつけれた街は、関東に3箇所ある。千葉県の香取市の佐原と栃木市、そして川越である。 それぞれ場所は離れている上、街並みの様子もそれぞれに個性を持つが、3つのまちには共通点がある。それは景観形成を中心にまちづくりが行われたことと、市民が中心になって地域再生に取り組んだことである。


■江戸商家の街並み「一番街」

その中にあって、川越の場合は、商店街の人たちが自主的に蔵造りの古い街並みの再生に取り組み、同時に行政も街路事業調査を実施して、歴史的街並み建造物が集中している部分の拡幅計画を変更したり、景観条例を整備して、景観計画を進めるなど、官民協働で街並み形成を進めたことが今日の成功につながったと言える。  川越の歴史的街並みを代表するのが、蔵造りの商家が立ち並ぶ「一番街」。川越のまちづくりはここから始まったと言ってよい。 昭和50年代に一番街に隣接する地域に建てられた高層マンションは今も景観の障害となって存在するが、このマンション建設こそ、皮肉にも住民の街並み環境へ危機感を煽り、蔵の街並み保存活動のきっかけとなった。 58年には市民団体「川越蔵の会」が設立され、商業活性化を目指した街並み整備がスタートした。以後20年以上の歳月を要したが、江戸商家の街並みが見事に復活した。


■拡大する景観整備

街並み景観の整備は、「一番街」の東側の商業地区にも広がっている。ここはかつて「銀座通り」と呼ばれ、川越で一番の繁華街だった。 この一帯も蔵づくりや町屋づくりの家が数多く点在するが、とりわけ近代建築や洋風の外観をした店舗などの歴史的建造物が目に付く。 一番街が明治の雰囲気を伝える街だとすると、こちらは近代化が街に入り込んだ時代の様子を醸し出しているということで、「大正ロマン通り」ということで名称がついている。


■昭和を目指したクレアモール

実は、現在の川越の最大の繁華街は、今は川越駅から北に延びる地域で、その中心となるのがクレアモール、八幡通という二つの通りを中心とする商業エリアである。ここは、先の「一番街」とほぼ同時期に景観形成ルールが策定され、景観形成の取り組みが行われてきた。平成11年には、電線の地中化及びモール化が行われた。 ここのコンセプトは、歴史的な景観というより、「昭和」という時代性を残しつつ、賑わいのある魅力的な景観を形成することにあったが、そうした当初の思惑から外れ、現在の街並みは、昭和の街というよりは、渋谷のセンター街に近い状態になっている。 川越駅からクレアモールにはいると、看板の多さにまず圧倒される。それぞれの店の袖看板が争いながら迫り出し、歩行者の視界を奪い合う。その不統一さと、目を刺激する色使いは美しさとはほど遠いものとなっている。


■看板戦争

市の景観形成計画には、袖看板や寸法やデザイン、道路上に突き出す看板の禁止などの規定があるが、この辺の地域には守られていないものがかなりあり、川越市役所が再三指導をしても無視しているらしい。 商店街の景観については、行政の介入にも限界があるようで、やはり商店会のような組合や建物のオーナーや店主などが加盟する団体が、自主ルールをつくって違法な屋外広告を規制していくのが一般的である。 ところが、クレアモールでは、もともとのビル等のオーナーはテナントで貸していているだけで、直接商売にタッチしていないので、チェーン店などの外からの業者が、商店間の自主規制を遵守せず、違法な看板を立てるようだ。


■商売のモラルを見直そう

自分たちの都合と利益を優先する人たちがぶつかり合う街は一種の戦場であり、豊かさが感じられない殺伐とした空間である。渋谷駅前は看板だけでなく爆音が轟き渡っている。まさに弱肉強食の戦国の舞台である。 クレアモールと比べると、「一番街」の看板は、落ち着いていて、何とも魅力的で落ち着きのある看板が掲げられている。突き出し看板はなく、江戸時代の商家の建物にフィットしている。 商店街は、商売人とお客とによって成立するマーケットであり、そこにはしっかりしたルールと消費者が気持ちよく買い物ができるという生活の豊かさに貢献していく商売モラルが存在しなければならない。モラルのないところには景観は形成されないし、逆に景観が悪化しているということはモラルが崩壊しているとい言って間違いはない。


■変わることに期待する

クレアモールは小江戸の一番町に至るまでの入り口であり、川越に来た観光客の一番最初に目に触れる場所でもあるところである。景観の改善に向けては行政の強い指導が必要であろう。市役所の都市景観課では、「商店経営者も分かっている人もいる。粘り強く景観改善計画を継続していくことで、変わってくると思う」と話しており。そこに期待したいと思う。 わがフォーラムの斉藤理事長は川越出身であり、生まれ育ったところがこのクレアモール沿いである。50年前の商店街とオーバーラップするだけに、現状に対する失望感を隠せないようだ。 「むかし西町商店街と呼ばれていたこの街並みに激変をもたらしたこの50年という時間は日本の高度経済成長期と重なります。日本のこの高度経済成長が何をもたらしたかということは、このクレアモールの景観をみれば明らかです。西町商店街が持っていた落ち着きある街のにぎわいと華やかさを捨て、おそらく、私たちは我武者羅に経済成長という“神話”を信じてきたのでしょう。それがこの街並みに氾濫する看板です。これはまさに競争を是とし、分断と対立をテーマとしてきました。それがこのクレアモールの景観です。 ところが、一番街のよみがえった蔵造りの街並みは、何と21世紀に私たちが望んでいる“共生”という音楽を奏で始めています。“競争”というドラマは早晩“共生”というメインテーマにとって代わるでしょう。クレアモールもその音楽に早く気付き、20年後、商店街の皆さんがあの時がそうだったのか、と思い出で語られるような良き景観まちづくりに、明日からでも取り組んでもらいたいと思います。 川越には、すぐそこの一番街にそのお手本があるのですから」と話し、改善への期待を寄せている。

景観行政団体訪問(報告書)埼玉県八潮市


埼玉県八潮市は、新しいまちづくりの一つとして、2008年から、100年後の未来に向けて八潮に個性的な街並みを作っていこうと、同市と連携した5つの大学研究室に八潮の街並みをデザインしてもらうユニークなプロジェクトが進行している。 単に、建物や街並みの設計だけをするのではなく、大学生が現地を自転車でリサーチして回ったり、地元の住民や子供たちを集めてワークショップを開くなど、行政、大学、市民との協働でまちづくりを進めるのが特色だ。 昨年は、5大学の建築家と学生が長期的な目で八潮らしいまちづくりを考える「住宅モデル」提案を行い、いよいよ八潮市のまちづくりの方向性が少しずつ形になって現れてきた。


■きっかけとなったつくばエクスプレス

この事業を、八潮市では、「八潮街並みづくり100年運動」と呼んでいる。ではなぜ、今、街並みづくりに力を入れることになったのか、それは2005年のつくばエクスプレスの開通がきっかけになっている。 それまで鉄道の駅をもたなかった八潮市にとって、つくばエクスプレスの開通は、急激な人口増加と開発の集中砲火を誘発し、環境という切り札を使わざるを得ない局面を迎えることとなった。 それは、市の経済にとっては大きなプラスとなる反面、今まで保たれてきた土地と人、人工と自然のバランスが壊れ、景観の悪化が懸念される自体となるからだ。

新しくできた八潮駅周辺では、競うようにマンションや商業ビルの建設が始まっており、今後開発の仕方によっては、景観が大きく損なわれることも予想される。 もし、これを放置しておけば、市場原理に従って、駅に近い土地に高層マンションが乱立する自体に陥る可能性もある。そうなると、個人商店などは参入する余地はなくなり、商業地は大手チェーン店の集合地となる。その傾向はすでに出始めている。 個性ある発展か、どこにでもある都心のベッドタウンに甘んじるか、いままさにその分岐点に立たされている。


■「住宅モデル」提案

八潮というまちは、それまで住宅と農地や工業地が中心で、特に目立った観光地や歴史的な資産があるわけではない、特色あるまちづくりを進めるためには、今から100年後を目指して、まちづくりを進めるやり方というのは、おそらく正しい方法なのだろう。 5大学の「住宅モデル」提案も、八潮の個性づくりを意図したもので、多少コンペ的な性格も見られるものの、まちの取り組みとしては面白い試みだと思う。 ただ、提案された7つのモデルはすべてが、単に新しい(場合によっては斬新な)住宅の設計プランを発表したにすぎず、100年かけて街並みづくりをする発想ではない。

それが建築の限界といってしまえばそれまでだが、であるならば、建築家以外の分野の発想を取り入れて、モデル案を構築したり、建築家と他分野の文化人(例えば画家、劇作家や詩人など)及び景観のアドバイザースペシャリスト混合チームでまちのシナリオを書くような機会を設けてほしいものである。


■「つくる」と「こわす」

著名な建築家を招聘し、公共建造物などを造ってもらって、内外から注目を集めると同時にまちの活性化も図るという手法があると聞く。しかし、即効的に結果を出すにはいい方法かもしれないが、長期的に見てそれでまちが良くなったという話はあまり聞かない。 まちづくりは歴史の積み重ねであり、文化が重要な役割を果たす。一部の建築物が文化を創るのではない。 建築家の役割は家やビルを造ることだ。建築業(設計者も土木も)は、所詮、造って「いくら」の世界であるから、「つくる」ことが前提になる。

しかし、まちは「つくる」前には「こわす」が伴う。絵画のように白いカンバスの上に色をのせるわけではない。その基盤は、人間にとって共生しなければならない「自然」であり、これまで人が長い年月をかけて積み上げてきた「文化」と「歴史」である。 「つくる」前にそれだけ重みのある資産を「こわす」ことにどれだけの人が躊躇するのか、慎重になるのか、そこにまちづくりの根本的な意味があると思う。 「100年運動」はその議論をゆっくりとそしてしっかりと積み重ねることが大事なのではないか。

景観行政団体訪問(報告書)千葉県我孫子市


行政・市民が共同で景観再生
■景観形成の経緯

我孫子市は、東京から概ね30キロのところにある。我孫子市の南にある手賀沼周辺には明治から大正にかけて志賀直哉や武者小路実篤など高名な作家や文化人が住んでいたところとして知られ、手賀沼と利根川という水環境に恵まれた自然豊かな地域だった。 それが、高度成長期時代の頃から人口が急激に増えだし、それに対して、環境を維持するインフラ整備も不完全なまま宅地開発を進めたため、沼の汚染が進み、台部では森や畑などが大量に失われ、美しかったかつての手賀沼周辺の景観は急速に崩壊していったのである。 平成の時代に入り、経済的にはゆとりの出てきた市民は、ようやく環境や景観に目を向けだし、将来住み続けられるようなまちにしたいという要望が強くなってきた。そこで、市は平成6年に我孫子市景観形成基本計画景を策定、さらに平成11年に我孫子市景観条例を施行し、建築物や開発計画に対する規制誘導など景観形成に向けた政策をスタートさせた。そして、平成17年に景観法が施行されると、我孫子市は景観行政団体になった。


■市民が景観形成に参加

景観づくりを始めた当初は、住宅の建設や商業地の開発計画などに対する規制誘導が中心だったが、市民が「景観まちづくり」に参加するための支援活動にも力を入れた。 平成9年から10年頃にかけては、全市域を対象に、景観行政を進めるためのカルテづくりに着手。 12年には、景観づくりの担い手を養成する市民講座を開催し、終了後は講座の受講生によって景観づくり市民団体「我孫子の景観を育てる会」が結成された。

我孫子市の象徴である手賀沼の景観を取り戻す取り組みでは、「我孫子の景観を育てる会」ほかの市民団体や個人希望者によって「手賀沼景観形成重点地区市民会議」が設立され、沼の現地調査などが実施された。その調査結果をもとに手賀沼沿いの低地を結ぶ古くからあった道を「ハケの道」として、景観重点整備地域に指定、文人・墨客たちが愛した手賀沼の自然景観の復活に向けて官民協働で取り組むことになった。 「ハケの道」は、我孫子駅南口から坂道を直進すると、突き当りが手賀沼公園である。 公園手前を左手に入る細い道がハケの道で、白樺文学館、志賀直哉邸跡に通じる。反対に公園の前の大通りを右に行き、途中の細い道に入り、1㎞ほど歩くと武者小路実篤邸跡にたどり着く。平成15年度からは、我孫子市では東京理科大学の教授の協力を得て、我孫子駅南口から手賀沼までの公園坂通りと「ハケの道」とをルートで結んで回遊性を創り出すプロジェクトを進めているという。


■安心の歩行環境を

市内に点在する史跡や名所、個性的な街並み、自然景観を結んで回遊性を高めていくまちづくりの手法は、地域アメニティの向上だけでなく、観光の振興にもつながるとされ、地域経済にも好循環をもたらすことが最近指摘されている。 特に歴史・文化があり、地域資源が豊富なところほど、地域活性化の有効な手段であると言われている。 そのような意味で、「ハケの道」を中心に、行政と市民が協働で、景観、環境、文化財保護などの都市整備を実践している我孫子市のまちづくりは注目に値するだろう。

15年にスタートして7年経った今、市民も近隣のまちからも散歩やまち歩きの人が増えているそうであるが、徐々に効果が表れてきているのだろう。観光やまち歩きのための回遊路はまず歩行者の視点に立つことが重要なポイントであるが、我孫子市が想定している回遊エリアの中に歩行者が車を気にしないでゆっくり歩ける道や、歩道が狭く車椅子や高齢者が安心して利用できるための道路環境が整っていないところがあるのは残念である。 例えば、駅から手賀沼公園までの公園坂通りは、途中から歩道が狭くなり、歩道は片側しかなくそれも人が1人通れる程度の幅しか取られていない場所もあった。しかも歩道のない片側は、民家の玄関やガレージの入り口が直接車道とつながるなど、事故が起きないだろうかと不安感を憶えるような光景が見られるのは、景観とってはマイナスである。 この道路は上下2車線になっているが、なぜ1車線にして歩道を拡げないのか疑問である。回遊路とするのであれば、車道より歩道を優先すべきである。同時に、バリアフリー化と景観の向上を目指す政策として、回遊路の電線については地中化し、電信柱のない安全で快適な歩行環境を整えることが回遊性の第1条件ではないだろうか。


■枝葉より幹を

他の自治体では「回遊性」といっても地図や看板でルートを示しただけの「観念の回遊路」で終わっている例は結構多いのである。 本当に実を上げるには、観光資源として地域経済に潤いをもたらすものでなければならない。 すでにワークショップなどでも提案されているかもしれないが、車を中心とする道路網や電線と電信柱による送電方式という従来の都市構造を見直していかないと、景観形成はなかなか進んでいかないのではないだろうか。

やりやすいところからやっていては、結局はその段階でとどまり、いつか消えてしまう。 まちづくりは枝葉の部分から手を付けるのではなく、元を構成している基本部分について時間をかけてもしっかり議論して、制度や組織を見直し、実施に向けてはタブーをつくらず思い切って切り込むことが基本である。 「ハケの道」「手賀沼」の回遊性を向上させるには、その基本的な問題に目をつぶらずに力強く政策を実践する姿勢がまず求められる。

景観行政団体訪問(報告書)千葉県柏市


「学園都市の顔」と「生活者に密着した景観」

東京から常磐線や筑波エクスプレスが貫通し今や東京都のベッドタウンとなっている千葉県柏市は、市内に5つの大学のキャンパスを有する学園都市でもある。 早くから景観計画を造り景観形成に努めてきた同市が最も力を入れているのが柏の葉キャンパス駅周辺を大学にあるまちにふさわしい景観にする取り組みである。 「学園都市の顔」と「生活者に密着した景観」の二つ計画が進行する柏市の取り組みにあって、やはり、課題となるのは、住民の意見をどう景観のまちづくりに反映させていくかである。コミュニティの問題を改めて考えることにした。


■平成4年に景観基本計画策定

柏市では平成4年3月に「柏市都市景観基本計画」を策定。その9年後の平成13年3月には具体的に都市景観形成を進めていくための「柏市景観まちづくり条例」を制定した。平成17年11月、景観行政団体に移行し、独自の景観まちづくりに着手。2年後の平成19年11月に「柏市景観計画」を策定している。 景観の取り組みは県内でも最も早くから取り組んだ自治体のひとつであり、大規模建築物の景観基準や地域別の景観形成ガイドラインを早くから策定し、景観づくりに取り組んでいる。 しかし、屋外広告物の色彩規制が十分に行われていないことや、庁内に全体に景観意識が浸透していないなど、解決すべき課題は多い。


■産官学が連携

柏市では景観モデル地域として平成18年から柏の葉キャンパス駅周辺や柏の葉1丁目、3丁目などを景観形成重点地区に指定し、計画的に景観の整備を進めている。柏の葉地区は東大柏の葉キャンパスや千葉大学科学教育研究センターなど大学や研究機関の施設が集積するため、その玄関口となる柏の葉キャンパス駅周辺については、大学のあるまちの顔にふさわしい街並みの形成が進められている。 柏の葉キャンパス駅は新たに敷設された筑波エクスプレスという鉄道の駅であり、駅周辺の施設整備については、駅舎と一体となった景観形成やユニバーサルデザイン導入などが図られている。駅が玄関口となって、「学問の殿堂」に誘う大学と街との融合は、筑波学園都市とはまた違った未来の学園都市の姿を現出している。まちづくりについては、産官学連携によって「国際学術研究都市」を目指した建設が続けられている。


■「造る」ことによってできた景観

柏の葉キャンパス駅周辺の整備は、新たに都市を建設する「開発型まちづくり」で、新駅という全く新しい場所に建設する事業だけに、既存施設との調整や住民との合意形成についても大きな問題は生じなかったと想像される。 しかし、これが既存の駅前を再開発する場合であったら、商店街との調整、住民の合意形成などなど、数多くのデリケートな問題を処理しなければならないため、「造る」本意で進めるのは難しい。ましてや景観については「造る側の論理で一方的に進められると調和が崩れ、個性のない街になる場合が多い。 景観づくりには「造る」ことにより「計画的に」できあがる景観と「自然に」「ゆっくり」できあがる景観とがあり、柏の葉キャンパス駅周辺の整備は「造る」ことによってできた景観の代表例と言えるであろう。それに対して、柏市は既存の商店街や住宅地域を対象に、景観教育やコミュニティづくりといったソフトな面からのアプローチから景観形成に目指す動きも見られる。


■生活に密着した美しさ

本多晃柏市長は2005年11月15日に景観合成団体になった直前のインタビューで「これからの日本全体の景観は、とりたてて名所がなくても、いわば生活に密着した美しさを追求することに意義がある」と述べているが、この発言は、これからの日本の景観づくりの上で、非常に重要なテーマを示唆したものだ。 「生活に密着した美しさ」とは、生活者が美しいと感じる景観を言うのであろう。つまり、生活道路、公園、駅舎などの公的建造物はじめ住宅街も商店街などの建物群のある場所もすべてが景観形成の対象ということなのだ。 従来のまちづくりでは、公共的な建造物を建てる際には利用を中心に考え、建物が周囲に与える影響、特に周囲の景観形成に貢献するという考えでは造られてこなかった。すなわち 日本中にどんどん統一感がない住宅地、商業地、オフィス街が広がっていった。


■「がらんどう」にならないために

お互いが自分の所有物や専有物だけを眺めて、周りをなるべく見ないようにする、あるいは関心を持たない。隣人も他人ということにしていっさい干渉しない。これらが習慣となり、日常生活の中で当たり前のように行われる。都会のマンションなどに多い状況であるが、こうしたところでは地域の景観に対する関心は限りなくゼロに近く、自分たちが占有する空間以外の景観を良くするという発想は生まれない。このような状況がつづくとまちは荒廃に向かい、都市は「がらんどう」状態になる。 「がらんどう」とは、広い場所に誰も住む人がいなくなり何もない静けさの漂った場所のことである。「がらんどう」は周囲に関心を持たなくなり、何も外から取り入れることをしなくなった結果、中身をほとんど消却してしまって、何もなくなるという一種の自然原理みたいなものだ。 「がらんどう」にならないための景観崩壊の歯止め策として、国が定めた景観法や自治体ごとの条例による規制がある。ただ、法律や制度で規制できるのは限定された地域に過ぎない。柏市では市内に数カ所重点地域を設けている。柏の葉キャンパス駅周辺もその一つだ。大学のイメージに見合った環境づくりを目指し、景観整備に注力した結果、景観は他と比べて格段良くなった。これが景観のモデル地区となり、意識を変えるきっかけにとなるかもしれない。しかし、それはあくまでも「造った」景観であり、「生活に密着した美しさ」とは違う。


■コミュニティと景観教育

「生活に密着した美しさ」とは、「上」から造る発想では生まれない。「下」にいる生活者の発想で景観も街もつくっていかないと、「生活に密着した美しさ」は現れてこない。それぞれの地域で住民が口を出し、干渉し合い、互いに批判し、良いところは認め、議論したことによって、まちの姿が良くなっていく。そこに生活に密着したまちの景観が生まれる。つまり地域コミュニティがまちの景観を守り、育てるのである。お互いが見る見られる関係にあるとき、他を気にする意識が生まれる。他とのバランスを重視するようになり、コミュニティ再生の環境が整う。 夏祭りにみんなが浴衣で集まるときにはやはり自分は和服が嫌いだから着ないのではなく、周りに少し合わせることで地域との人間関係を円滑にすることができる。生活を楽しむというのは地域との人間関係から生まれることが多い。現代はコンビニエンスストアや自販機、携帯電話などで、人と直接関わらなくても生活できるので、ますます孤立化が強まる傾向にある。 現代は地域コミュニティが自然発生する時代ではない。これは人工的につくらないと、地域コミュニティは再生しない。その技術が今最も求められている。現在注目を集めている「景観教育」はコミュニティ再生策の一つでもある。コミュニティがつくり上げた「生活に密着した景観」は住む人の心を温かくし、心の底で「美しい」と感じる。そのような心を育てることが「景観教育」の目的なのである。


■地域コミュニティが崩壊すれば、社会が荒廃する

柏の葉キャンパス駅も景観づくりも市民の協力なくしてはできないが、「生活密着した景観」づくりとは根本的に違う。重点地域の景観づくりは第1に経済力ありきだ。 しかし、「生活に密着した景観」づくりは金をかけても到達できない。人と人とが交流し、その力が社会的な力となっていって「生活に密着した美しさ」かつ「柏市らしい」景観は生まれるのだと思う。 もちろんコミュニティの再生は柏市だけ問題ではなく、多くの自治体が抱えている課題である。

景観行政団体訪問(報告書)東京都足立区


イメージ一新、歴史とアートの融合へ
■歴史・自然との調和を

東京都足立区は、東京の最北端に位置し、四方を荒川や隅田川などの河川が貫く平坦な地域である。面積は約60平方キロメートルで、東京23区では3番目に広い。 大正までは区の大部分を田畑が占めていたが、昭和にはいると、工場や住宅が徐々に建ち始め、団地、マンションも急速に数を増やすが、住宅地域はまだ豊かな自然が残っている。 一方、江戸時代から交通の要所として栄えた千住地区は、今は工業・商業地区として発展しているが、旧日光街道に沿って、歴史的建物や蔵などが今でも点々と残っている。

北千住駅周辺は再開発され、景観は一変したが、少し奥に入ったところにはまだ古い街並みが残っていて、宿場町の面影が感じられる。こうした歴史・自然といった要素をまちづくりに取り入れ、現代の都市とどう調和させるかが足立区の景観づくりの課題である。 足立区では、平成21年4月1日から景観法に基づく景観行政団体となり、「足立区景観条例」を施行(4月1日一部施行、6月1日完全施行)。また、5月には「足立区景観計画」を策定し、景観法の規定に基づく都市整備を進めている。


■北千住は学生の街に

足立区は、戦後の都市開発によって、低層を中心とする住居地域の景観に変化が見られるようになったが、最近になって、区内への大学誘致に伴う新しいまちづくりが荒川と隅田川に挟まれた北千住駅周辺で進められている。 この地域には今、廃校になった小学校や中学校の跡地に東京藝術大学、東京未来大学が設立されているが、今後、東京電機大学、帝京科学大学が進出を予定している。4つの大学が揃うと、千住地区は、10代から20代の若い大学生が1万人くらい通学してくることになり、北千住は学生の街に一変する。これまでは、どちらかというと地味なイメージだった商店街にも、多くの若者が集まり、新しい文化が誕生するかもしれない。 そこで、足立区ではこの千住地区を若者にとっても魅力ある場所にするため、大学や商店街との連携のもとで新しいまちづくりを構想することにしている。その基本は北千住駅周辺の市街地を文化・芸術のまちにすることである。


■歴史的町並みと現代との融合

北千住駅前は再開発によってすっかり現代的な街並みに変わったが、旧日光街道(宿場町通り)沿いには江戸時代から昭和初期に建てられた店舗や蔵がまだ点在し、宿場町の雰囲気を残している。 こうした歴史的な街並みと現代の商業文化との調和を図りながら、世代を越えた交流を促進することがまずまちづくりの第1のポイントになるだろう。少なくとも現代的なセンスと宿場町の歴史的な景観とのミスマッチはなくしていかなければならない。例えば、宿場町のイメージに現代のオシャレ感覚を取り入れることで、街全体の景観を良くしていくような、そういう感覚が求められる。それにはアーティストの協力も必要となるだろう。 次は、学生の活動の場である。北千住駅からほど近い隅田川沿いには工場や倉庫などが建ち並ぶエリアがあるが、工場移転などで空いたスペースも少なくない。いずれはマンションや商業ビルになるのだろうが、その移行期間に学生にアトリエとして貸し出したり、劇や音楽のスタジオとして活用してはどうだろうか。


■下宿先の誘致

学生にとって重要なのは住居の問題であるが、若いパワーをまちづくりに生かすために住居についても積極的に誘致してはどうか。地方出身の学生が下宿する際に、区外や郊外のアパートやワンルームマンションに住むのではなく、千住地域に住んでもらうようにする。 そして学生には積極的に地元のまちづくりに参加してもらう。参加してもらえる学生には、商店街などの空き店舗や空き住宅を優先的かつ低料金で使えるようにする。 例えば、商店街の2階部分を学生の下宿スペースとして貸し出し、空き店舗は、学生たちの作品展示や、コミュニティ・スペースとして活用してもらう。学生の街中の居住を促進することで、大学への協力と街の活性化を同時に行うことができる、これこそ一石二鳥ではないか。


■アートの街へ

千住地区を「アートの街」にする構想もあるようだ。素晴らしい構想だと思うが、下地や基盤がしっかりしていないと失敗する。 とってつけたような施設をつくったり看板を掲げたりすると「どこがアートなの?」と言われかねない。やはり中身が大事だ。 立派な建物や施設に人が集まるわけではなく、魅力的で住みたくなる街の雰囲気・景観がなければ人は素通りしてしまう。「アートの街」であれば、少なくとも景観地区に指定されている旧日光街道の電線の地中化は必須であろう。

「アートの街」として認められるためには、とにかく「美しい」景観にすること。「美」こそが「アート」の基本要件だからだ。それにはまちの景観を良くしたいということが行政、市民、学生の共通目標となっていなければならない。 景観の善し悪しは、専門的な知識は必要がなく、小学生でも語れる。景観ほど分野や世代を越えてコミュニケーションの材料になるものはほかにないのである。 景観形成は最終的にはまちぐるみでないとできない。景観をキーワードに地域コミュニティーをどう育てていくかが、足立区における景観まちづくりの当面の課題だろう。

景観行政団体訪問(報告書)東京都江東区


■オリンピックが景観にどのような影響を与えるか

江東区は、南は海に面し、河川や運河が縦横に延びる水辺のまち。また、江戸時代には隅田川の東岸の深川を中心に庶民文化が花を咲かせ、多くの文人・墨客が訪れたが、その歴史と伝統は「下町文化」として今に引き継がれている。 さらに、景観で注目されるのが、東京湾を埋め立てた広大なウォーターフロントの都市で、水辺を利用した公園・緑地と高層ビル群の織りなす都市景観美を観光資源として売り出したいようだ。

ところが、ここは2016年開催の東京オリンピックの最有力候補地に挙げられていることや築地市場の移転構想も進められており、臨海部は「つくる」側にとって魅力いっぱいの地域。それだけに、景観形成行政が今後、臨海部の施設建設に集中し、河川・運河部の水辺や下町区域におけるソフトな景観づくりなおざりにされる心配もないではない。 計画には江東区の景観形成の役割として、「先導役」「行政の積極的なリーダーシップ」という文言を使って「行政主導」を強調しているが、行政の景観に関するリーダーシップが建設計画に偏るのではなく、ハード・ソフト両面で、区民、行政、事業者の協働体制が機能するようなリーダーシップを望みたい。

景観行政団体訪問(報告書)東京都新宿区


全区域に高さ制限網
■多様な地域特性

東京の中でも新宿区ほど景観形成への対応が難しい区はないだろう。新宿新都心と呼ばれる超高層ビル街や歌舞伎町などの娯楽・繁華街、多くのアジア人が住み商売を営む大久保地域、一方では、歴史・文化の香り高い四谷地域や、開発から逃れた古くからの住宅街も数多く存在し、新宿区の景観を一様に論じることはできない。 行政側も景観形成にあたっては、それぞれの地域の実情にあった景観規制と景観計画が必要となるため、全国に先駆けて景観まちづくり条例を施行(平成4年)し、早いうちから景観誘導に着手した。 大規模な建設工事に当たっては、景観アドバイザーと事業者・設計者との協議のもとで建設計画を進めるなどのケースははあったが、当時は、まだ大きな景観問題は浮上してこなかった。


■絶対的高さ制限

新宿区で大きな問題が起きたのは平成12年、神楽坂5丁目の超高層マンションの建設計画(当初計画31階)をめぐる近隣住民・商店主らと建主との間の紛争である。近隣住民から「建設計画は周囲の景観を無視したもの」として、建設業者に対し、階高の大幅な削減を求めた。また、東京都や新宿区にも反対の署名や着工凍結の陳情書を提出。この問題は翌年、住民側が建設を許可した新宿区を告訴する自体にまで発展した。 景観に対する大きな転機となったのは、平成16年景観法成立である。新宿区では景観法をもとに区全域わたる景観整備に着手することにし、建築物の絶対高さ制限を定める高度地区変更を平成18年3月31日に告示し、同日より施行した。変更の概要は、地区ごとに20m、30m、40m、50m、60mといった髙さの限度数値を示し、新宿駅周辺の副都心エリアを除いた全域で適用するよう義務づけた。規制の対象は区の総面積の約8割に及ぶ。


■「景観形成ガイドライン」を公表

平成19年、都が景観計画を作成したのを機に、新宿区も平成20年7 月に景観行政団体となった。さらに平成21年3月、区は地域特性を生かした景観まちづくりのための基本的事項を定めた「新宿区景観まちづくり計画」を策定。 同時に、事業者が景観について区と事前協議する際に役立ててもらうための「景観形成ガイドライン」を公表した。 これらは、景観に関する区の考え方を明確に示すことで、事業者が景観形成に積極的に取り組むことを促すものだ。

新宿に水辺が復活~新宿御苑 前出したように新宿区は歴史的、地形的、都市形態的に非常に多様なため、全体を取り上げて景観の特色を解説するのは困難である。そこで、新宿区については、取材を踏まえて小分けにして、景観の特色を紹介することにする。 第1回目は、新宿発祥の原点とも言うべき内藤町、つまり新宿御苑である。新宿御苑は、江戸時代には高遠藩内藤家の下屋敷があった敷地である。明治以降は、農事試験場、宮内省植物御苑となり、戦後になって公園として一般に開放された。花見のスポットも親しまれ、毎年多くの人が桜見物に訪れる。御苑は区内では最も自然の豊かな場所である。東京23区内でこれだけ緑が多い場所は珍しい。

この新宿御苑の北側にはかつては玉川上水が流れていた。玉川上水は羽村の取水口から四谷大木戸まで約40キロの水路で、大木戸からは地下に埋めこまれた樋により、江戸市中に配水された。玉川上水が江戸時代から明治時代には四谷3丁目あたりから玉川上水にそって桜が植えられていた。季節にもなると大勢の花見客が訪れたようで、その様子が広重の絵として残っている。 そんな玉川上水の面影を現代に伝えていこうと、玉川上水偲ぶ流れを復活する事業が学識経験者、地域住民らによって進められている。建設計画も決まり、今年中に着工し、来年春までに完成させる予定だという。 江戸時代以来、景観については後退の一途をただっていると批判されている東京だけに、世界一美しい都だった「江戸」に少しで近づくことができれば、非常に有意義な取り組みであると思う。

景観行政団体訪問(報告書)東京都杉並区


「造る」ことから「在る」ことを評価する視点を

杉並区では、1989年以来、杉並「まち」デザイン賞を設けて、まちの魅力に貢献している建物や地域活動を表彰しており、2006年までに47件が受賞している。 開始当初は毎年実施し、第4回からは3年に1回になっていた。区では今後の実施については未定としているが、このデザイン賞が「杉並らいしい景観」を考えるきっかけになっているのではと話している。 そもそも「街」というものは、歩く人の目と耳、場合によっては匂い、味、触覚といった五感を通してつくられてきた。

客を呼び込むお店の顔は魅力的でなければならないが、一般の住宅地もやはり周囲から見られる対象であるから、周囲の雰囲気を壊さず、かつ目を楽しませることが必要だ。 これまでの杉並「まち」デザイン賞の受賞対象を見ると、全体を通じて建物や地域への愛情を表象したものが目立つ。個性的な建物もあるが、周囲に気を配ってよく手入れされている生け垣や樹木など、緑を積極的に取り入れ、街の美化に貢献しているものが多い。 建築物は、まず造るときに周囲の建物や自然や地域性を考えながら造り、建てた後も、さらに緑が減らないようにしっかり整備していく。そのような地域にはますます愛情が注がれ、さらに美しさに磨きが掛かり、それが周囲に連鎖して美が面的に拡がる。実は、景観はそこから生まれる。景観は単独で形成されるのではなく、時間が経ち、周囲との関係の中から生まれてくる。つまり、景観は「造る」ものではなく、「在る」ものなのだ。

その点で、20年続けた杉並「まち」デザイン賞は大いに評価したい。しかし、景観行政となって計画的に景観形成を行うのであれば、これからは「造る」対象よりも「在る」対象に着目すべきだと思う。地味であっても「在るべきもの」になっている対象を評価していく行政及び住民の目が必要だ。

「在るべきもの」は、必ずしも個性的とは限らない。むしろ他と紛れて、目立たなくなっている建物もある、それでも、他の人に落ち付きと安心を与える場所。たとえて言うならば、寺や神社、古い家、伝統的な工法で建てられた日本建築や洋館といったところか。つまり時代が経っている対象だ。 そこには常に「在るべき形状」を備えていて、他の建物や周囲全体を引き立てる。平凡かもしれないが、地域にとって大切な建物や場所、雰囲気を醸し出す建物や場所。そこを掘り起こし、積極的に評価していくことが、景観行政を進める都市の姿勢ではなかろうか。

景観行政団体訪問(報告書)東京都墨田区


■東京スカイツリーが建つ風景

墨田区は平成19年度に「墨田区景観基本計画」を策定。平成21年5月には、景観行政団体となったのを機に、地域特性を活かした区独自の景観まちづくりを進めていくとしている。 同区では「墨田区景観計画(案)」をまとめ、ウェブなどで公開して区民に意見を求めている。(もっともウェブにアクセスしても「ページが見つかりません」と出てくるのでもう見られないようだ)とにかく11月1日から同計画が施行される。

それはそうと、墨田区には地上600m超、世界一の高さを誇る展望タワーの東京スカイツリーが2011年の完成を目指し、工事が進行している。東京湾や関東平野を一望にできるなど、見たこともない眺望が味わえるとあって、前評判は良く、墨田の目玉として経済波及効果を期待する声が高い。 しかし、一般に高層建築物や、巨大建築物が建設されるときには、プラス面ばかりが強調され、建設前には環境、近隣住民の心理面や健康への影響、景観(見える位置によってはいい面ばかりではない)などの様々な問題が黙殺されがちである。 とりわけ、景観についてはプラスになるのかマイナスかは微妙である。常に高層建築がもたらす景観への影響の範囲は巨大であるが故にこれまで以上に拡大するであろうし、他の建築物、墨田の歴史的情緒との調整範囲も広がるだろう。東京スカイツリーを中心とする景観の問題は、広範囲にわたる周囲の景観を含め総合的に考える視点が必要だ。

墨田区が景観行政団体になった以上、景観の善し悪しを無視することはできない。区民には東京スカイツリーに反対な人も少なくからずいること、少数とはいえ、そういう人の意見を無視することのないようにしなければならない。そのためには、区民の景観論議が活発に行われるような地域コミュニティ形成を目指すまちづくりを進めていく以外にはない。

景観行政団体訪問(報告書)東京都世田谷区


■いい線行っている住宅景観

東京都世田谷区は住宅地については都内でもトップクラスの人気で、多くの人がそのクォリティの高さを認めている。それは言い換えればまちづくりが成功している姿でもあり、実際それは景観として現れている。 住民が求める景観は一般に、緑や水辺など自然が豊富で、広い空があり、太陽が燦々と照り、建物に統一感があり、不快さを感じさせない、というのが理想であろう。 そのような景観であり、まちであってほしいとみんなが願っている。そのような想いがあるにも関わらず、実際は景観はむしろ悪くなる方向に進む。結果、美しくもなく、個性のないまちになる。

それはなぜだろうか? わが国は景観を守る法律や制度はたいへん貧弱で、事業者は、買い手さえ確保できれば周囲の景観などはほとんど注意を払わず住宅の造成を図る。その結果、周囲との統一感を欠いた住宅がどんどん建つ。経済の論理と効率性だけで、高層住宅を建てるためますます景観が破壊されるのである。 事業者が高層のマンションを建てることができるのは、規制がないから、またはあっても緩く、いくらでも抜け道があるので、収益性だけで建てる。その結果、住宅地に高層マンションができる。結果、景観は悪くなり、住民も愛着を失って、ますます住民の入れ替わりが進み、コミュニティは崩壊、土地のクォリティが低下していく。

現在、景観を守るしくみとして、国の法律である景観法(平成16年成立)と自治体ごとに策定する景観条例及び景観計画があるが、景観法だけでは地域によって実情が違う景観を守ることはできない。自治体が景観条例を作って規制しない限りは事業者のなすがままである。(それを景気が良くなるといって推進する者、議員などが必ずいる) 景観条例も景観の計画的な整備も市民が行政に要求していかない限り成立しない。一般に行政は沈黙しており、市民からの強い要求、議会での案件などで取り上げられない限り、動くことはない。景観を守り育てるきっかけをつくるのは市民である。

世田谷区の景観が保たれているのは、やはり区民の景観への関心が高いからだと思われる。区も区民に景観の意識を喚起する材料をいろいろ提供している。その関係がうまくいっていることが住宅地の景観に現れているのだろう。 市民の地域への関心度、参画の度合いが顕著に現れるのが景観である。関心を強め、景観の条例化に持っていく、そしてその質をさらにアップしていく、そのような力を生み出し、増幅させるのは地域コミュニティである。逆に景観の良いところにはコミュニティがちゃんと育っているのだ。 まちづくりも景観も、市民と行政と企業とがバランスよく力を出し合うことでうまくいくということを世田谷区を訪問して感じた。なお、区が制作した「さたがやの風景づくり」は景観教育の基礎資料として、他のまちでも活用できるので、参照してほしい。

景観行政団体訪問(報告書)東京都府中市


■散歩が楽しめるまち

東京都府中市は、東西に細長い東京都のほぼ中央にあり、武蔵野台地の地形と長い歴史を持つまちである。距離的にも新宿副都心から約20㎞、と比較的近い距離にある反面、緑が豊富で、住宅地にふさわしい景観と環境が保たれている。 東京都はいたるところ都市開発が進み、農地や雑木林などが宅地に変わり、緑が大幅に減少したが、府中については、緑を保存し、街並み形成や景観づくりに生かすことで独自の個性を打ち出してきた。

府中の景観の特色は4つに集約される。

  1. 南端を東西に流れる多摩川の水辺と緑
  2. それと平行して市の中央部を東西に貫通する府中崖線
  3. 大國魂神社の参道を中心に広がるけやき並木道
  4. 市のシンボルであり、四季折々の花鳥が生息する浅間山

これらのグリーンベルトが市民のCO2排出を引き受け、生活に潤いと豊かさをもたらしている。欧米の多くが都市の中心に水と緑を取り入れ「散歩ができる都会」を目指してきたが、府中市はわが国の大都市には数少ない「散歩が楽しめるまち」である。 府中市の景観を楽しむのは地元住民である必要はない。区外や近郊の都市住民も来て、散策や観光を楽しむだけの価値は十分にある。同市都市整備課が発行する「景観ガイドマップ」を見てほしい。府中の都市景観の魅力が膨大な風景写真と観光マップとによって余すところなく紹介されている。 ガイドマップというのは地図からの情報を頭の中で活動イメージに変換するツールであるが、景観という視覚情報を地図と組み合わせることで、イメージがさらに膨らむ点で、新しい「観光地図」となる予感さえする。(私たちは「景観地図」と呼んでいる)このガイドマップが観光客を呼び込む可能性は十分にある。 東京・新宿区の神楽坂にはここ数年、都内全域から多くの観光客が集まり、今や原宿と並んで都市観光の人気スポットとなっている。神楽坂のまちづくりの第一歩は、景観の再生からスタートした。石畳と黒塀が織りなす花街特有の情緒を復活させ、若者のグルメ志向と融合させたのだ。

景観が守られることにより、まずは地元の人が元気になり、人を呼び込む力となった。観光マップもたくさんの種類のマップを毎年のように発行している。景観の良いことはまず地元住民を元気にさせる。都市の景観づくりは観光と結びついて成熟する。それを神楽坂が照明したのだ。 都市の観光事業は業者が中心になるのではなく、まちづくりとして総合的に進めるのが時代の流れのようである。そうなるとやはり魅力のある景観を持つ自治体こそ観光で成功するまちといえるだろう。 府中市にはすでに人を呼び込む景観と魅力は整っている。これからは住民がそれに磨きを掛け「散歩が楽しめるまち」としての存在感をアピールしていくことだ。それには今後、行政、住民、企業(建設事業者だけでなく商店、観光関連業者も含めて)の協働が一層重要になってくるであろう。

景観行政団体訪問(報告書)東京都町田市


歴史的な街並み景観を守れるか
■道路拡幅で浮上した歴史的景観喪失の危機

町田市の北部、多摩市と接する小野路という地区は、谷戸田、里山など昔ながらの原風景が今もなお残る田園地帯である。 そこは鎌倉時代に鎌倉幕府と武蔵国の国府である府中とを結ぶ要衝の地であったことから、昔から宿駅として栄え、幕末頃は路を挟んで40件くらいの宿屋が連なっていたという。 その小野路は今でもかつて宿場として栄えた当時を偲ばせる街並みの景観が残っている。

小野路宿通りは幅員5m未満と狭いの都道で、路の片側を水路が流れている。歩道は設けられていない。 長い間、生活道路としての利用が主だった宿通りも近年、多摩市のニュータウンなどの開発の影響を受けて、車両の通行量が激増し、子供や高齢者の安全を脅か事態となった。そこで、東京都は都道である小野路宿通りの拡幅整備を進めることとなったが、計画通り進めると、永い間住民がつちかってきた趣のある街並みの崩壊につながるおそれがある。 市民側からも歴史的景観が失われることを懸念する声も挙がり、小野路宿通りの道路拡幅整備はにわかに町田市の景観形成上の大きな問題として浮上したのである。


■歴史的町並み形成を配慮した景観計画作成へ

町田市は今年3月、歴史的な街並み景観の再生と保全、及び地域の活性化と多様な交流の促進という観点から小野路宿通り周辺地区についての都市再生整備計画を公表した。

それによると、街並み景観についての整備方針は

  1. 都道の拡幅により亡失する塀、生垣等については、街並修景補助金制度により板塀設置の促進を図る
  2. 都道の拡幅によりなくなる水路の代わりに整備されるせせらぎについて、橋の修景を行う
  3. 宿通りに面した高札場跡地等の修景を行う――というもの。つまり、塀や水路の部分に改造を加え、できるだけ街並みの景観を整備するという内容である。


また今年8月1日から景観行政団体となったのに伴い、町田市景観計画を策定、地域別の景観づくりの中で、小野路宿通りについて、「道路整備にあわせて、歴史あるまち並みの環境を保全・再生し、特徴を生かした景観づくりを行う」と明示し、景観形成を重視する姿勢を改めて明らかにした。 これにより、小野路宿通りの歴史的景観はひとまず維持される可能性は高くなった。しかし、それで問題がすべて解決するわけではない。貴重な歴史的な資産を積極的に活用し、来訪者の増加、多様な交流促進につながってこそ地域の資源であり、地域住民の「宝」となるのだ。 それには、公共事業だけに任せるのではなく、市民が積極的に関わり、協働で交流拠点整備やもてなしの体制づくりなど地域活性化を図ることが必要となる。つまり地域住民の自主的、自立的な景観形成活動、まちづくりへの参画が不可欠なのである。住民の関心度が薄れれば、将来、景観が一気に失われることすらある。そのくらい景観は住民の意識の問題と密接な関係にあるのだ。

景観行政団体訪問(報告書)東京都港区


東京都港区の取り組み
■8月に景観計画を策定

東京都港区は今年3月公布した同区景観条例を6月1日付けで施行し、同日付けで景観行政団体に移行した。 東京都が行っていた景観行政を引き継ぐことに加えて、地域特性を生かした良好な景観形成を進めていくため、建物や公共物の建設に当たっては事前に「景観アドバイザー」からの意見を聞くなど区独自の景観政策を進めていく方針。 今後は、区民の意見を採り入れながら作成した計画案を区民と学識経験者による景観審議会などに諮問するのをはじめ、区民への意見聴取を経て、8月に港区景観計画を策定するとしている。


■道路に面した地域を重点整備地域

注目したいのは、区とコンサルが策定した計画原案を今後どのくらい、区民の要望と学識経験者のアドバイスを取り入れて、区独自の景観計画を練り上げられるかである。その際に、住民の意見が少数派として埋没することがないようにしなければならない。 今回、景観整備重点地域として道路がいくつか指定されるようだが、景観の対象が道路に面する建物の形状(高さ、色、看板)に限定されることなく、歩行者、自転車が通れる専用道の確保や並木など緑・自然の配置、歴史との整合性や原風景との調和(面影)、美的センスなど様々な側面に光を当てていかなければならない。 住民の意見を採り入れる場合、それぞれのテーマごとに意見を求め、さらにそれに基づいて、計画案の修正を行っていけば、区民の合意形成はかなり進展していくはずだ。ただ、8月策定というのは、合意を得る期間としてはあまりに短かいように思うのだが、どれほど区民の要望が反映されるのかは区当局の腕の見せどころだろう。

景観行政団体訪問(報告書)東京都目黒区


景観と環境は別物か?
■なぜ目黒区が景観団体に

私たちのフォーラム事務局がある目黒区の景観について考える。 当区が景観行政団体になったのは、昨年の11月30日のこと。景観行政団体とは、景観に関する様々な規制や行政手続きを本来行っていた都道府県から区市町村に移し、独自の景観計画に基づいて景観行政ができるようになった自治体のことである。 自治体にとっては、行政事務が増えることなので、住民が景観形成に対して「こだわり」がないと景観行政団体の旗をあえて揚げることはない。それ故、目黒区が名乗りを上げた背景には、景観を守りたい、良くしたいという多くの有権者の希望があったということであると解釈する。 目黒区は、山の手に位置し、オフィス街は少なく大部分は住宅地である。つまり住民にとって良好と感じるような景観づくり、例えば周辺住民が余暇を楽しむために集まれるような地域の景観形成ということも大きな目標となるだろう。 観光地と言うほどでもないが、目黒区にも「景観美」を誇っている場所がある。それが、目黒川沿いの桜並木である。満開期には、区外から大勢の花見客が訪れ、川の両側の沿道は人の川となる。樹種はソメイヨシノであるが、樹木の数たるや半端ではなく、隙間なくぎっしりと生えているため、枝が川面まで迫り出して、川全体を桜が覆うように咲く様が美しいのである。桜は散っても今度は青葉が豊かに茂り、それもまた見事な水と緑が織りなす景観美である。目黒川は四季折々に区民が楽しめる景観スポットとなっている。


■川の水を見てみよう

目黒川沿いの景観を形成しているのは、言うまでもなく水と緑という組み合わせであるが、花見の人気スポットとして成り立っているのは、川面まで迫り出した枝葉や花で、水面の汚さが覆い隠されている点もあるのではないだろうか。 桜が咲くと花が川面を隠し、花が散ると葉っぱが川面を隠す。花見では、桜が主役なので、川は背景としか目に映らない。 だから、川の水が奇麗かどうかは外から来た人にとってはほとんど問題にならないのである。

しかし、地元住民にとってはそれとは見方が違ってくる。 目黒川の景観を構成しているのは樹木の緑と川の水であり、その川を覗くと綺麗ではない、と言うのでは困る。目黒川の水質は、ひところよりもだいぶ向上したと言われているが、景観の観点からすると、まず見て美しいと感じるかどうか、次に触れて気持ちがよいかどうか、と言う点が街の自然に対する捉え方である。 では、良好な景観としての水質あるいは水感、鮮度とはどのようなものかというと、人が、水に直接入って不快にならない程度の環境を必要とする。やはり水は澄んでいなければならないし、魚が泳いでいはじめて、親水性があると言えよう。 その観点からすろとまだ改善が必要である。と言うことなのである。目黒区は環境にも力を入れているというが、目黒川で川遊びができるくらいに水質を改善することが必要である。


■川の改善と景観整備

その場合、川の整備を担当している者はおそらく「川は目黒区だけ流れているのではないのだから、それはむりです。東京都の問題です。河川局の管轄です」となるであろう。 それはそうかもしれないが、それでは景観計画も立てる意味がよくわからなくなる。 目黒区の景観計画には、「景観は個々の敷地で完結するものでなく、地域や近隣、街並みで一体となって形成されるものと言えます」とある だから、川をキレイにするためには、近隣、流れている自治体と協力して、人が水に入れるくらいキレイになってはじめて、本来の自然景観を取り戻し、良好な景観になったといえるのである。

もちろん眺望確保と言う点で、桜を眺める道路の整備など川の流域を整備することも必要だが、それだけでは本当に良好な景観は築けない。川そのものの改善も景観にとっては重要だと言うことを指摘しておきたい。


■景観は総合的な視点で

景観づくりは行政単位でできないことが多い。とくにそれが言えるのは自然や生態系に絡む事項だ。景観も環境も部分だけを見て、改善しようとしてもおそらくなかなか効果を上げることはできないだろう。 それは自然や景観というものは、地域間、分野間をまたがっているからで、いろいろな分野の人たち、団体が協働で取り組まない限りは良くならない。ましてや一つの自治体の力だけでは景観問題の解決は不可能だ。

しかし、それでも景観と環境について、地元密着の狭い市民団体ではなく、総合的に活動する市民組織、例えばNPOでも地元密着の狭い市民団体ではなく、様々な分野と、地域と連携して活動する市民組織と協働体制をつくることで、問題をかなり迅速に解決できるのではないだろうか。

目黒川の場合でも、水質の改善と流域の景観形成とを総合的に考えながら、現状の体制の中でどう工夫し、修景を図り、改善し、景観形成のための環境改善を進めていくか、考えていかなければならないが、やはりそのためには例えば、景観計画を環境整備と分離して進めるのではなく、さらに文化・教育や防災などの観点も加え広い視野に立って総合的に行政を進めることが重要である。

景観行政団体訪問(報告書)神奈川県小田原市

■小田原市の景観行政の取り組み

小田原市は、江戸時代、城下町、東海道屈指の宿場町として発展。その後は明治、大正、昭和にかけて、工業、商業拠点として、市街地が近代化されていくが、小田原城はじめ旧東海道に中心に多くの歴史的文化的な財産を数多く遺し、小田原独自の景観を形成している。 そうした背景から、小田原市は早くから景観行政に取り組み、平成5年3月に「都市景観条例」を制定し、建築物や工作物の景観誘導に取り組んできた。

そして、平成17年には、小田原市景観計画を策定し、景観計画区域を市全域に拡げるとともに、都市空間から自然空間まで、緑・水と歴史的文化資源を生かした潤いのあるまちづくりを進めている。 最近では、城下町らしい景観の形成を図るため、商業地域に乱立する看板、ネオン、広告塔などの屋外広告物に関する条例に基づいて規制に乗り出した。中でも小田原駅から小田原城にかけての連続した地域の景観を守るため、屋外広告物に対して色彩基準を設けるとともに屋上の広告物やネオン、点滅や動光を伴う広告物については厳しく規制している。 田原駅前には大規模なパチンコ屋があり、ビームを放つ広告塔を設置していたが、最近、条例に基づいてビームを撤去させている。 景観法が制定される以前から景観条例に基づいて市独自で取り組んできた成果が今の歴史、文化の香りを街並みとなって現れており、全国の自治体から多くの視察者が訪れている。当フォーラムも今後、同市との連携を深めて、景観まちづくりの活動を進めていく考えである。

景観行政団体訪問(報告書)神奈川県鎌倉市


街並みの作法で景観を守る
■市民参加の景観づくり

鎌倉のまちの魅力は、800年前の鎌倉時代から現在に至る文化の痕跡を地域の景観の中に留めていることだ。私たちは、その地に赴き、触れることで過去を想像できる。それが未だに鎌倉が観光地としての人気を維持できる最大の要因である。鎌倉市がまちづくりの中で景観を重視するのもそういった理由からだろう。 同市が平成7~8年にかけて作成したまちづくり条例では、「市民参加」が強調され、当時の市長が自ら「受け身では発展しない。行政市民が一緒になってまちづくりをしよう」と鼓吹している。 受動から能動への具体的な内容は、①協働②誘導③支援――ということになっているが、その胎動は平成8年からの景観計画に現れる。例えば、計画では、市域を21に区分し、市域ごとに景観形成の方針・基準を細かく定めている。景観形成は、一律の基準を広範囲に適用することはできないというのがその理由であるが、これこそ、景観形成の基本原則であると考える。


■地区単位ごとに景観形成を

景観計画とか景観条例というものは、実は、かなり特定された狭い地域にしか当てはまらない。商業地区、住宅地区、農業地区、駅前等交通拠点など、おおざっぱに分けても土地利用の実態は異なる。 それをすべて、同じ制度を適用しようとすると、例外規定ばかりが適用されるようになり、景観保護の規定は畢竟有名無実となる。 地域はそれぞれ固有の歴史も風土がある、それぞれ土地利用のあり方が異なる。地域の実状に則して良好な景観を維持していくには、比較的範囲の狭い地区単位ごとに規定や制度、計画をつくり、運用していくことが望ましい。

また、地区単位の制度策定に当たっては、地域住民の意見をできるだけ集約し、合意と総意の基で独自の規定をつくるべきであり、市町村の景観条例をそのまま適用するのは避けるべきだ。 そのような意味で、鎌倉市の地区単位による景観形成の取り組みは、住民参画の景観づくりモデルと言ってよいだろう。


■北鎌倉東地区の「まち並みの作法集」

北鎌倉駅周辺は、景観計画によって区分された景観地区に指定されているが、その一部の北鎌倉東地区では平成21年5月、居住者の移転や交代によって、景観が変わることを防止するため、独自に「まち並みの作法集」を作成した。 作法集では、北鎌倉東地区らしい街並み形成の方針として、「心地よさを持ったスケール感の維持」「地域の風土と調和した潤いのある環境の創造」「通りに対する細やかな気遣い」の3柱を揚げ、それに基づいて、10の作法を定めている。 作法の項目は、①建物の高さや輪郭②まち並みの連続性③ゆとり空間④屋根⑤緑化、生垣など⑥敷き際(門・柵・塀)⑦地域の風土をつくる色と素材⑧広告物(屋外広告、のれん等)⑨自動販売機・設備類の修景⑩季節感の演出、清潔なまち――で、それぞれ実践例などを示している。

「スケール感」というのは、あまり耳慣れない言葉だが、作法集では「実際の数値の大きさではなく、人の感じる大きさ。建物の色や形、距離、バランスなどによりその感じは違ってきます」と説明している。 なるほど景観は、建設(建築)や都市計画の中では、景観を評価する基準として一定の数値として表すことが多いが、あえて、数値による規定を設けず、その色や形状は地域に住む人の感性に委ねたことはきわめて画期的である。


■景観は法律だけで守れるか

景観は法律や制度だけで守れるかどうかは微妙な問題だ。だいたい、法律や制度に万能はなく、法の抜け穴や網の目をくぐり抜けて利益を得る企業は少なくない。 それどころか不完全な規定が逆に景観破壊を後押ししているケースが多く、景観法や景観条例だけに頼るのは危険である。

もちろん条例によって、違法な建築や開発に対する抑止力は働き、総体としては望ましい方向に進むかもしれない。 しかし、一つの建設計画が、地域の全体に影響を及ぼし、地域の共同財産である景観に致命的な打撃を与える場合もある。 地域にとっては掛け替えのない大切な景観を守るためには、地域住民自ら厳格に監視していく必要があるのだ。

個人を越えて、地域全体で景観という財産を守るためには、地域の「掟」がいる。 「掟」はほぼ法律と意味は同じだが、狭い範囲で適用される点では「掟」がぴったりくる。ただ、もう古くさいし、現在ではあまり使われていない。 その点、「作法」という言葉は印象がソフトで、一人一人の心掛けを示しているようでよい。この言葉がもっと広まってほしいと思う。

景観行政団体訪問(報告書)神奈川県川崎市


街は機能的でありたい。しかし…
■昭和の街から平成の街へ

都市は多種多様な人々の交流の場であり、快適さとにぎわいこそが人を惹きつける街の大きな魅力である。豊富な物資やサービスを擁する商業地域は、人々が集中することにより活気のある商店街が発展するする一方で、猥雑さと喧噪に染まった歓楽街が出現し、機能性と危険性の両面を持つ都市が昭和の時代には数多く出現した。 しかしながら、昭和の終わりごろからは、再開発によって次々に都市の街並み整備が行われ、機能的なまちに改造されていった結果、猥雑さや危険性は払拭され、街の多くが安全と清潔な街に改善されていった。こうした、「清潔」「安全」「機能的」を主要素とする都市改造は全国一律に行われているといっても過言ではなく、それが、都市の変革のダイナミズムにもなっている。 川崎駅周辺は今まさに昭和の街から平成の街に生まれ変わる途上にあり、現在、駅を中心に、街の変革が活発に進行している。


■二つのショッピングモール

かつての川崎は、工業の街として工場が集積し、そこから排出される煤煙による公害で苦しんだ街でもある。川崎駅東口の京急川崎周辺は、雑居ビルがひしめき合い、歓楽街の一部には、いかがわしい飲み屋や。風俗店なども出現し、治安も悪化した。 昭和時代の川崎は、そうした歓楽街のイメージに染色された街であった。 平成に入り、そのイメージを一新したのが、JR川崎駅東口の「ラ チッタデッラ」と西口のラゾーナ川崎プラザだった。

2002年にオープンした「ラ チッタデッラ」は、イタリアの古い街をモデルに映画館や音楽ホール、飲食店などの歓楽施設が軒を並べる新しいタイプの「歓楽街」。 噴水広場から丘を登るように配置されたショッピングモールが特徴的で、それまでの川崎とはまったく趣を異にする施設であったが、そこに多くの若者が集まり、川崎のイメージは急速に変わっていった。 そして、2006年にはJR川崎駅西口から直結する形で、「ラゾーナ川崎プラザ」が建設された。これはかつて西口前にあった東芝の工場の跡地に、開業したマンモス・ショッピングモールである。

モールの中央には広場を設け、それを囲うように店舗を配するなど、明るく開放感のある構造が特徴。広場にはステージが設けられ、音楽ライブが頻繁に催されている。 このモールのある地域一帯は、工場閉鎖に伴う都市再開発の一つとして行われたものだが、すべて敷地は工場跡地ということで、これだけ巨大な施設を駅前に建設することができたのである。 とはいえ、この二つの再開発によって、川崎周辺は「清潔」「安全」「機能的」の3つの条件を備えた新しい街に生まれ変わろうとしているのである。


■京急川崎駅周辺

まだ川崎駅前はモールの他にも、JR川崎駅東口駅前広場を初め、その周辺に新しいオフィスビルが相次いで建設され、平成の近代都市の顔が徐々に整いつつある。 とはいえ、まだ街の大半は以前のままの川崎のスタイルである。 JR川崎駅から京急川崎駅にかけては再開発計画にかかっており、急速に変貌を遂げつつあるが、まだ京急川崎駅から東にかけて一帯はまだ昔の川崎が残っている。


■景観として保つ

ここで、「機能」に変わって、重視すべきなのが、「景観」である。 京急川崎駅周辺には街路や路地が網の目となっており、商店街と歓楽街が渾然一体となった商業空間が広がっている。 び心を刺激する歓楽街の屋外広告がときにはけばけばしく、繁華街の猥雑さがときには冒険心をそそる。それは川崎の街の本質的な特色であり、魅力の根元でもある。

人は、「機能」や「便利さ」だけでは味気なさを感じる。 「生きる」ということは単に金や物質的に恵まれることではない。様々な選択肢がありそれを選択する立場にあるとき、場合によっては一番無駄なものを選択することが「生きる」ことの実感となる場合もありうる。 100%安心の感覚だけでなく、ときにはすこしだけ地獄も見てみたい。そのような「自由さ」が古い川崎の良さでもあったのではないか。その感覚は大事にしながら、魅力的な「川崎」を「景観」として保ち続けてほしいものだ。

それは単に、その状態のままにしておくということではない。 今、商業主義優先の中で、無秩序とも言える屋外広告によって、川崎の街の情緒ある景観が失われつつある点を見逃してはならない。 せっかく歩道を拡張したのに、店の前に幟を並べている店舗があった。また、車道と歩道との関係も見直さないと、(もともとは歩行者が優先していたために)自然に回遊があった歩行経路も、分断される状況になってきた。

地下道を発達させる都市づくりは、地上の街の景観の魅力を減退させる可能性もある。やはり、地下道はあくまで地上の回遊性を補完するために機能させるのが自然なのではないだろうか? この際車道を中心とする都市交通のあり方を商業地域の活性化という視点から見直していく必要があるのではないか。


■街の個性とは

商業ビルとオフィスビル、そしてマンションとをゾーニングするなど明確に分離すべきだと思う。 というのは、両者は、ビルの用途も性格も形態も違うにも関わらず、商業ビルの上に、オフィスやマンションを併設するところがある。 商業ビルやオフィスビルの上に布団が干してあったりするのは醜く、店のイメージにつながる。

商業ビルは形に統一性があるのが望ましいので、階段やベランダがつきもののマンションがなどは、商業地の景観を悪くするだけだ。 商業地の景観の理想は高さが揃っている銀座通りだろう。銀座が商業地域として、人気を保つのは「景観」があるからだ。

下は商業施設、上はオフィススペースは両立できるが、商業施設としての価値を高めるのは機能よりも「景観」が優先されるということを肝に銘じておかなければならない。

川崎の街を10年ぶりくらいにゆっくりを歩いたが、かつてのような下町的な情緒は薄れてきたのではないか。綺麗になった半面、アクの強さというものを感じられなくなった。 綺麗になった半面、アクの強さというものを感じられなくなった。なんとなく寂しさを感じるが、これも都市の成長のプロセスなのかもしれない。

街の個性や魅力は歴史の中で造られてきたものだが、それを将来に向かってどう残し、改善していくのかが、まちづくりの永遠のテーマであろう。

景観行政団体訪問(報告書)神奈川県箱根町


■観光価値を高める取り組み

箱根町は芦ノ湖を中心に置く箱根と麓の湯本温泉からなり、そのほぼ全域が富士箱根伊豆国立公園に入る。国立公園は、日本の優れた自然景観を守り、国民保養地としてその利用増進を図ることを目的に指定されているもので、区域の景観保護のために「自然保護法」によって厳しい規制が施されている。 従って、箱根町についてはすでに一部の商業地域を除いて、「自然保護法」の規制により、景観が保護されている。 例えば、建物を建てることが許可されている普通地域では、高さが13m、延べ面積1000㎡を超える工作物を新築、改築、増築する場合には環境大臣に届け出をしなければならない。

こうした厳しい規制があるにもかかわらず、さらに景観条例に基づく景観形成に踏み込むのは、やはり、箱根という地域が、わが国を代表する観光地として国際的にも誇れる歴史、自然景観を守り、観光資源としての価値を高めていかなければならにとするすべての町民の願いなのであろう。 今回は、町が重点地区候補として指定した中から湯本、元箱根、関所復元区域を視察したが、箱根にふさわしい景観を維持し、観光資源として価値を高めていくためには、課題点(箱根町で感じた三つの景観ポイント参照)も見受けられた。今後の同町の景観計画に基づいた取り組みが注目される。


■箱根町で感じた三つの景観ポイント

  1. 国立公園ということで、よく整備されていた。中でも、すべての建物が屋根に覆われているということが、こんなにも景観を統一的にみせ、自然景観と調和するのかということに気づかされる。ヨーロッパでは屋根によって景観が統一されているが、東洋では崩壊している。これは東洋の近代化と深い関係がある。だから屋根をあらゆる建築物に意識的につけることは近代化以前を基調にした統一感のある街並みに戻すことになり、良好な景観の形成につながる。
  2. 「箱根関所」の復元には感動させられた。とりわけ屋根と外壁の色彩が周囲の自然景観にマッチしたのは素晴らしい。しかし、そこに付属している博物館とお土産屋を含めた店舗などの景観形成はこれからだという気がする。「観光客により大きな感動を与えるにはどのようなアプローチが必要か」「この場所を持続可能な箱根の中心的な拠点とするにはどうしたらいいか」などのテーマでフォーラムを開き、議論を積み上げてはいかがであろうか。
  3. 特に道路沿いに並ぶ建築物には屋根はあるが、不揃いなのが気になる。また、道路沿いにある看板類の在り方を、国立公園と観光ブランドという見地から見直すことが必要。例えば、看板の色彩と形状を統一するとか、自動販売機は屋外に設置しないなど、そうした意見を町外の人も交えて話し合い、実際に試みていけばさらに素晴らしい景観形成ができると思う。箱根には日本が誇る自然、歴史的財産がぎっしりと詰まっている地域だからこそ、景観に磨きをかけていくことが観光客を呼び込む最大のマーケティングなるのではなかろうか。

景観行政団体訪問(報告書)神奈川県横浜市


クリエイティブに進行する横浜の顔づくり
■景観法と景観条例を最大限生かす

横浜市は、港や豊かな水と緑、歴史文化などを大切にした都市景観の質を向上させるため、平成18年4月1日、景観条例を施行した。 この条例は、市内の中でも特に都市景観に魅力を持たせる必要がある地区を「都市景観協議地区」と位置づけて、景観ルールづくりを市民と協働で進めたり、地区内で建築などを行う際には、より質の高い景観が形成されるように事業者と横浜市が協議を行うことにしたものだ。 景観法に基づく景観計画では、建物の高さや形・色などに定量的な基準が設けられているが、協議地区に指定された場所では、その上に「賑わいの創出」や「歴史性の継承」といった非定量的な基準の網をかぶせて、横浜らしい景観づくりを積極的に進めていこうというものだ。

現在、景観計画と都市景観協議地区の二重の規制がかけられているのが、開港以来横浜の中心地として発展してきた関内地区。馬車道、山下公園通り、日本大通り、横浜中華街などの個性的な都市景観が売り物だが、そうした街並みをさらに魅力的なものとし、世界に誇れる横浜の顔づくりを行うことにしている。 中でも、イチョウ並木と開港の歴史を伝える旧い建造物が特徴の日本大通りは、通り沿いをゆとりある街路空間と開放的な通景空間づくりが進められており、馬車道地区でも歴史的・文化的資源を生かしながら赤レンガをイメージする色彩で統一感を出すなど個性的な街並みが形成されている。 こうした景観法・景観条例を組み合わせた景観づくりを全市的に拡大していくため、横浜市では景観政策の方向性を示した「横浜市景観ビジョン」を平成18年12月に公表。さらにビジョンにもとづき全市で適用する基本的な景観ルール(景観計画)の検討を行っている。


■芸術・文化の都市づくり

横浜は、1859年(安政6年)の開港以来、今年で150周年を迎え、さらに横浜らしいの魅力的なまちづくりを目指し、都心・臨海部を中心として、芸術・文化が持つ創造性を活かした都市づくりが進められている。 中でも、横浜港発祥の地とされる象の鼻地区では、現存する大さん橋や赤レンガ倉庫のあるエリア一体を、国際的な文化観光交流の拠点となるナショナルアートパークにする構想が進行中である。

さらには、「馬車道」「日本大通り」「野毛・桜木町」の3地区にある歴史的建造物や倉庫、空きオフィスにアーティストやクリエーターが創作・発表・滞在しやすい創造的空間に替えていく取り組みも進められるなど、横浜の新たな顔づくり・まちづくり推進プロジェクトが進めれている。 国際都市として、芸術文化都市として大きく変貌する横浜市にあって、景観形成はますます大きなウエイトを占める。 膨大な面積と人口を有し、地域によって景観の特徴や課題も様々な横浜市が今後どのようにそれぞれの街の景観を市民と協働で作り上げていくか注目していきたい。