“景観”なんて主観的問題ではないですか!と言われる人にお会いすることがある。その方はもしかしたら環境問題に詳しく、地域でその活動に深く関わっている人かもしれない。そして、環境問題とは“地球環境問題”であり、住環境問題ではないのだ、と言うかもしれない。
しかし、その環境問題活動家含め私達が日常目にしている生活空間にある住環境は客観的に存在し、都市景観を作り出している分子ともいえる建築はその重要な環境と景観の構成要素であることは紛れもない。
即ち、私達がじかに体験している住環境問題こそ地球環境問題として日々提示されているのである。私達は日常その住環境を意識していないかもしれないが、人と待ち合わせる時などは自ずと好きな場所を選んでいるのではないだろうか。まさか余程のことがない限り廃棄物処理場の前で待ち合わせることはあるまい。
一度、建物を建てる場所から離れて
あなたが好きだなと感じる場所を考えてみよう。
あなたが気持よいと感じる場所を考えてみよう。
あなたが好きな人、愛して欲しいと思っている人に
自分が好きだな、気持ちがよいと感じる場所を教えてあげよう。
もしかしてそれは、こどもじみたことだとあなたは思うかもしれない。
では今度は、大人になった自分から離れて、子供になったつもりで、
好きだな、気持ちがよいと感じる場所を考えてみよう。
『建築はほほえむ』16頁
この書は詩ではない。では建築に対する解説書か。否、詩文、そしてエッセーなどなど、著者の芸術的センスによって生み出された、住環境と建築に関する思考のエッセンスが詰まった重き発露を感ずる書だ。
環境問題は住環境問題を無視して、小学生でさえ地球環境問題を語る時代になってきている。低炭素社会を目指して自分には何ができるかという掛け声の下に地球環境問題を声高に叫ぶ社会である。しかし、その一人ひとりが身近な住環境を住みやすく綺麗な場所に意識的に働きかけることで、結果的に地球環境問題に貢献できることであることに気付いて頂きたいものである。そして、低炭素などと炭素を悪者呼ばわりしないでほしい。炭素があってこそ生物は生かされてきたのだから。(斉藤全彦)