Book Review

ブックレビューとは、われわれ日本景観フォーラムの斉藤全彦理事長が景観への造詣をより深めるための図書を紹介しているものです。



  • 『無電柱革命』松原隆一郎・小池百合子著 PHP新書 2015年7月刊

    「恐らく日本人の7割ないし8割近くの人びとは電柱並びにそこにぶら下がる電線に気を止めることはないであろう。天高くそびえる秋空に感動を覚える人が、ふと気付くとその周りには電柱と電線が纏わりつき、なんとまあ醜悪な景観を呈していることに驚く。それほどまでに日本人の意識に電柱電線は当たり前に空を占有していることに慣されてきた。

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  • 『普通の人びと』C・ブラウニング著 谷喬夫訳 筑摩書房 原著初版1992年刊

    「戦争と景観とコミュニティの関係について考察してゆくと、この『普通の人びと』は必読の書ではないだろうか。副題は『ホロコーストと第101警察予備大隊』というものである。普通に生活していた、 歴史に特別に取り上げられる人びとではない500人という人達が、2年間で8,000人の普通のユダヤ人に対し戦争という理由で“射殺”という行為を実施した。著者の研究の発端は、第二次世界大戦終了の20年後実施されたこの500人の警察予備大隊員への裁判が残した起訴状への著者の出会いからだという。

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  • ①『陸軍登戸研究所と謀略戦』渡辺賢二著 吉川弘文館 2012年刊


    ②『陸軍登戸研究所<秘密戦>の世界』山田朗著 明治大学出版会 2012年刊


    ③『地図から消された島-大久野島毒ガス工場』武田英子著 ドメス出版 1987年刊


    ④一人ひとりの大久野島―毒ガス工場からの証言』正刀行武著 ドメス出版 2012年刊


    ⑤『毒ガスの島―大久野島悪夢の傷跡』中国新聞「毒ガスの島」取材班中国新聞社1996年刊


    ⑥『増補新版 毒ガスの島』樋口健二著・写真 こぶし書房 2015年刊(旧版1983年刊)


    戦争というものを体験していない者にとって、それが実際どういうものであるかを考えることは難しいことである。体験者の話を聞いたり、映像や書籍から得られる知識からしか判断できないのは、ある意味からすれば戦禍の中にいない“平和”に安住していることであり、それは幸せということであろう。しかし、戦時中に何が行われていたのかという真実を見つめることを怠ってはいけない、“平和” を持続可能にさせるためには。

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  • 『現代日本の思想』久野収・鶴見俊輔著 岩波新書 1956年刊

    「景観とはその土地に住む人々の思想の現れである」とあえて私は言ってみたい。日本各地でも色々な景観かであり、世界のそれぞれの国々でも特色ある景観を示している。確かに、現代都市の典型といえばニューヨークの摩天楼を想像される方もおられることであろう。しかし、ニューヨークを全く知らない方々も地球上にはたくさんいるはずであり、その人達にとっての現代都市とはどのようなものを思い浮かべるのであろうか。

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  • 『見えがくれする都市』槇文彦他著 鹿島出版会 1980年刊

    「まちあるきをしながら私たちは一体何を見ているのであろうか?」という問いかけに対して殆どの人は戸惑いを感ずるのではないか。海外旅行者はただ外国にいるということだけで、物珍しさにつられすべてを見ているという気がするのではないか。しかし「都市のかたちを理解するということは一体何を意味しているのだろうか」という槇の問いを今一度問いなおしてもいいのではなろうか。

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  • 『屋根』伊藤ていじ文・高井潔写真 淡交社 2004年刊

    屋根のない家を想像できるだろうか。「私の家には屋上はあっても屋根らしきのものはありませんよ。」とマンション在住者からの声。マンション建設が当たり前のように席巻している現在「オフィスビル・諸官庁・アパートの殆どすべては、基本的には箱であり、当然の結果として屋上は水平である。」明治時代に京都に訪れた西洋人は朝靄の棚引く京都の薄暗い屋根の美しさに言及しているが、“近代化”が齎した風景を見てどう思われるだろうか。

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  • 『茶色の朝』フランク・パヴロフ著 ギャロ絵 大月書店 原著初版2001年刊

    景観を考えるとき、ひとは風景という概念に心を向けるのではないだろうか。先ず、私にとっての風景を考え、皆で論ずるときにはそれを景観という概念に置き換えるという仕方だ。即ち、風景は個人的であり、景観は客観性が前提となる。しかし、現代社会の風景はどんなものなのであろうかと問いかけるとき、それを景観とは言わない。それぞれの現代を示す時代精神といえるもの、それをひとは社会の風景と言ったりする。

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  • 『はじめてわかるルネサンス』ジェリー・ブロトン著 ちくま学芸文庫 原著初版2006年刊

    景観を論ずるとき、常にキーワードとして脳裏をかすめるのは"近代化"というものである。古代から中世を通りぬけ、そして近代という大パノラマの時代を経験したのち現代が立ち現われるという歴史の流れは景観論の大きな重しとなっている。その中でもこの"近代化"という時代の大転換が景観に大きな影響を与えていることは言うまでもあるまい。従って、ある場所の景観を考える場合必ずと言ってその場所がどのように"近代化"されたかを問いかけねばならなくなる。そして、この"近代化"の発端となったのが、14世紀から16世紀にかけて人類史に忽然と現れた「ルネサンス」というものであろう。

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  • 『田端文士村』近藤富枝著 中公文庫 原著初版1975年刊

    作家は風景をどのように見ているだろうか。この書は取り立てて田端の風景そのものを論じているわけではない。むしろ、文学者を中心とした芸術を愛し、芸術を生業としている群像を田端という地に垣間見ているのであろう。主人公は、芥川龍之介(1892-1927)。そして脇役は室生犀星(1889-1962)である。芥川はシャキシャキの下町江戸っ子であり、犀星は金沢出身の田舎育ちである。芥川を中心とした人間模様、犀星を慕ってくる人たちの生きざま。それらが「アトリエ付きの家がところどころにあり、白いエプロンをかけた女給のいるカフェーや、モダンなパンもあって若々しかった」田端という当時は大変新しい田園都市の中で醸成される様が謳われている。

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  • 『人間のための街路』バーナード・ルドフスキー著 鹿島出版会 原著初版1969年刊

    人類が歩くことを始めてからどのくらいの時間が流れたことであろう。途轍もない時間の流れの中で、人類は直立二足歩行を獲得することにより大脳の発達を促し文明を創造した。人類は長い時間をかけてこの歩行という移動手段で世界を観察してきたのであって、世界を見るという人間の行為において、歩くという基本的行為を忘れてはならない。冒頭、ルドフスキーの「愚かにも我々は、街路が砂漠ではなくむしろオアシスになることに気がついていない」という指摘には、ヒューマンスケールを忘れ果てた自動車社会を齎したアメリカ文明への批判が含意されている。

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  • 『文化的景観-生活となりわいの物語』金田章裕著 日本経済新聞出版社 2012年

    文化を定義することは大変難しい。ラテン語に由来する名詞cultura, cultusは耕作,耕地、世話、生活習慣、贅沢、衣服、装飾、保護、尊敬、祭祀等を意味し、手入れをする、移住する、敬慕する、祭るなどが動詞coloに由来し、農耕の言葉から魂の耕作として教養・教化が生まれたという。また翻訳語としての“文化”とは、何もないものから価値ある状態にすることであり、因みに“文明”は武ではなく“文”をもって世を“明”るくすることであるという。

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  • 『人口減少社会という希望-コミュニティ経済と地球倫理』 広井良典著 朝日新聞出版 2013年刊

    近現代において成熟社会を経験したヨーロッパ社会は、フランス経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュの著書『経済成長なき社会発展は可能か?』ならびに『<脱成長>は世界を変えられるか?』(作品社刊)が問いかける問題を真剣に考える社会になっている。そして、日本においても人口減少が始まっている現代において、まさに同じ問いかけに真剣にとりかかる時期に来てはいないだろうか。

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  • 『こころの詩-四季の彩り(はり絵画文集)』内田正泰画著 日貿出版社2011年刊

    貼り絵と聞くと子供の世界を連想する。お絵かきごっこの一分野のように考える御仁もおられるのではないだろうか。また、日本中を放浪して、あの何とも言えぬ世界を表現した山下清(1922-1971)のちぎり紙細工の世界も想像できよう。

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  • 『タテ社会の人間関係-単一社会の理論』中根千枝著 講談社現代新書初版1967年刊

    大変有名な本である。約50年ほど読み継がれ、社会人類学の観点から日本の社会構造をタテ社会と命名した。ここで言う社会構造とは「一定の社会に内在する基本原理」を指し、「社会組織(social organization)は変わっても、社会構造(social structure)は変わらない」のであり、例えば、「村落と都市にある会社では、あらゆる組織・様態が異なるにもかかわらず、社会集団としての構造が同一である」という。では、この社会構造が解明するのは何か。「社会人類学においては、この基本原理はつねに個人と個人、個人と集団、また個人からなる集団と集団の“関係”を基礎として求められる。」即ち、衣食住に現れる生活スタイルの欧米化などのように変化が顕著なものに対して、その生活スタイルをエンジョイする日常の人々の付き合い方とか、人と人とのやり取りの仕方には全く変わらないものがあるという。

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  • 『富士山-聖と美の山』上垣外憲一著 中公新書2009年刊

    「この本は、富士山に関する“文化的”なものの総覧である。富士山の文化史と言い換えてもよい。富士山は山であり、それは自然現象である。しかし富士山は、日本列島という人口も比較的稠密な、文化的な伝統にも奥深いものを持っている国に位置している。当然、この偉大な山とその周辺に住む人々との間に様々な形での交流が生まれてくる。」

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  • 『LRT-次世代型路面電車とまちづくり』宇都宮浄人/服部重敬著 成山堂書店刊

    フランスの哲学者ジャック・アタリが21世紀を予測する『21世紀の歴史』の中で述べている。世界がグローバル化すればするほど、人類はよりノマド(遊牧民)化する。一定のところに定住するのではなく、この狭い地球の中を駆け巡り、それが出来ない者は、ヴァーチャルでかなえようとする。人類は今以上に“移動”を求め本来の動物としての本能を満たそうとするのであるという。

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  • 『風景学-風景と景観をめぐる歴史と現在』中川理著 共立出版 2008年刊

    「景観なんて主観的問題ではないのか!自分がいいと思えば良いし、悪いと思えば悪いのではないか!即ち、学として論ずるに値しないというものだ!」また、「良いとか悪いとかいうような二者択一はどうかと思う。」と言うご意見もある。
    しかし、景観は風景とは異なり、コミュニティが共有するという大前提がある。風景は人間がかかわる環境への反応であり、私達が自分の生命を維持する何かを持っている。解り易く言えば「風景」は個人が持つ生きるための基本であり、「景観」とはその風景を持つ一人ひとりの集まり即ちコミュニティとして、客観的に論じられる対象である。

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  • 『都市の文化』1938年 ルイス・マンフォード著 生田勉訳

    世界に大変革が起きているとき、人々はどのように対応してきたのであろうか。
    人類史において、先ず、ヒトは火を使い始めることにより他の動物と決別し、長期にわたる苦難の時間を経て計画的な食糧生産を発明し、産業革命により生産の爆発的な拡大を可能とした。
    そして現代、情報は地球の裏側に瞬時に送付され、あらゆるモノは地球のどこにでも輸送可能となり、人類は地球環境に対してさえもダメージを与えるまで力を持つようになった。

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  • 『創造都市への挑戦-産業と文化の息づく街へ』佐々木雅幸著

    creative創造的・クリエイティブ、と言う言葉はよく使われ、最近ではクリエーターと言う名称も聞かれるが、中々説明しがたい多岐にわたる意味を持っているらしい。
    かの英国の批評家レイモンド・ウィリアムズに言わせれば「“独創的な・革新的な”という一般的な意味と、これに関連した“生産的な”という専門的な意味を持つ」ということになる。「創造都市」を簡単に説明すれば、独創的で革新的な何かを生み出しつつある都市、ということになろうか。

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  • 『私の東京町歩き』 川本三郎著

    川本三郎さんといえば著名な評論家である。が、一方では元祖“町歩き家”でもある。その川本さんが大著『荷風と東京』を完成された。この書は永井荷風の畢生の日記『断腸亭日乗』を読み解き、荷風が歩いた東京をたどりその人ととなりを語る旅である。やはり、現代町歩きの元祖も、荷風という大先輩がいたのである。
    散歩を日本にはじめて紹介したのは、福沢諭吉といわれている。しかし、散歩と町歩きはちょっと違っている。
    散歩は気分転換、健康維持などの目的があるが、町歩きとは著者も言っているように「自分がほんとうに好きになった人の名前は秘密にしておきたいように、自分が好きになった町のことも誰にも教えたくない」気持ちになるような歩き方なのだろう。

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  • 『日本の景観 ふるさとの原型』 樋口忠彦著

    本書は1981年春秋社より刊行されたものを文庫化したものであるが、この書の6年前に著者は『景観の構造-ランドスケープとしての日本の景観』を著しており、この『景観の構造』が景観工学の観点から日本の景観を分析しているとすれば、『日本の景観』は、文学的・哲学的観察によって日本の景観の質的分析が深められ、景観論そのものを論じているゆえに、まさに景観の文化論というべきものである。

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  • 『人は愛するに足り、真心は信ずるに足りる-アフガンとの約束』 中村哲・聞き手:澤地久枝

    景観を語るとき、そこに住んでいる人々のことを抜きにしては語れない。狭いといわれている日本国内でも北海道から沖縄諸島まで、均質化したといわれているが、それでもそこに実際に行ってみると、そこでの生活が醸し出す雰囲気が異なり、そこから生まれ出てくる景観は多種多様である。
    これが世界の景観となれば当然文化の違いが歴然と景観の違いとなって顕われ、自然景観でさえそれは顕著なものである。

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  • 『生活形式の民主主義-デンマーク社会の哲学』 ハル・コック著 小池直人訳

    デンマークという国は人口が北海道とほぼ同じ560万人程度で面積は北海道の約半分だという。その規模のコミュニティがひとつの国家として成り立っている。それも世界で最も豊かな福祉国家として20世紀に奇跡を起こした。それはどうしてだろうか。
    デンマーク生まれのハル・コック(1904-1963)はコペンハーゲン大学で神学教授を勤め、教会史研究に携わり、戦後は“成人学校”の校長になり政治参加を積極的に促した。やはり、彼にとって最も貴重な体験はナチス・ドイツによるデンマーク占領下での平和的抵抗運動路線の実践であろう。

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  • 『ドイツの地方都市はなぜ元気なのか-小さな街の輝くクオリティ』 高松平蔵著

    地域間格差がはっきり出ている日本社会にとってこの本の題名はひどくショッキングである。日本社会全体を眺めてみてもバブル崩壊後はほとんどの地方都市は衰退の一途をたどってしまったと言っていい。今や、“限界村”などという不思議で不気味な名称がジャーナリズムを賑わせている。

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  • 『都市と人間』 陣内秀信著

    今、NHKのBSで「世界ふれあい街歩き」という番組が好評を博しているという。45分ぐらいの程良い長さで、世界各国のめぼしい街を実際の歩く目線で廻ってゆく。そこで出会った町の人に声をかけたり、面白そうな店があったら入ってみたり、団体旅行ではない、ぶらぶらと肩肘張らない街歩きが、テレビというバーチャルリアリティで経験できるものだ。音楽もいいし、この時間は何となく癒されるというのは私一人だろうか。

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  • 『フランスの景観を読む-保存と規制の現代都市計画』 和田幸信著

    現在フランスの人口はおよそ6千万人である。それを上回る観光客が毎年パリを筆頭にフランス各地を訪れている。何故だろうか。そこには行ってみたくなるような雰囲気を醸し出している魅力的な都市が存在するからである。

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  • 『なぜ日本は没落するか』 森嶋通夫著

    私達が景観を見るとき無意識にもパースペクティブを心のどこかに備えているはずである。ではこのパースペクティブというとき何を心に描いているのであろうか。
    辞書では、遠近法、見通し、見取り図などと書かれているが、パースペクティブを持たない景観というものは景観としての形態として現れてはこないのではないかと思われる。

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  • 『世界まちづくり事典』 井上繁著

    環境問題では生物多様性が当然のように語られるようになった。それでは、人間の作り出す文化面ではどうであろうか。その中でも人間が用いている言語はその象徴的なものであり、この地球には、既に消滅してしまった言語も含めその種類は6千とか7千ほど存在したと言われているが、グローバル化が進んでいる現在、その数はますます減少傾向にある。

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  • 『ブリューゲルへの旅』 中野孝次著

    随分前になるが、ブリューゲルの絵に出合ったのは『農民の結婚式』が初めであったと思われる。今まで見てきた、また、西洋絵画として受け止めてきた絵画とは全く異なる風合いと色調に唖然とした記憶が残っている。
    西洋絵画といえば、イタリアルネッサンスを起点とした連綿と連なる重厚な絵画を常識として受け入れてきた若き脳髄には、ブリューゲルとの出会いは衝撃であった。それは、西洋文明という確固たる理性を基幹とする合理主義の歴史観を真っ向から覆すエネルギーを持つものであった。

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  • 『英国の持続可能な地域づくり』 中島恵理著

    持続可能性(サステナビリティ=sustainability)という言葉が使われ出したのは、1984年国連に設置された「環境と開発に関する世界委員会」(WCED=World Commission on Environment and Development)においてからである。
    委員長が後にノルウェーの首相となったブルントラント女史であったことから、その名前をとってブルントラント委員会と呼ばれた。1987年までの約4年間で合計8回の会合が開かれ、その後にまとめられた報告書”Our Common Future”(邦題『地球の未来を守るために』)では、環境保全と開発の関係について「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たすこと」という「持続可能な開発」の概念を打ち出した。

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  • 『荷風と明治の都市景観』 南明日香著

    日本の景観、とりわけ都市景観を自慢する奇特な人はいないだろう。電信柱が気ままな遊歩を妨害し、散歩の先を眺めると、これまた種類が判別できぬほどの多種多様な広告が高さのバラバラな建物の中で我こそはと主張し合っている。
    見上げる空は電線で覆い尽くされて、こんなに混乱した景観の中に自分が生活していることに驚きを覚える。そして、半世紀前の日本の都市景観をふと思い出す。

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  • 『ゆたかな社会』 ガルブレイス著

    「ある家族が、しゃれた色の、冷暖房装置つきの自動車でピクニックに行くとしよう。かれらの通る都会は、舗装がわるくごみくずや朽ちた建物や広告版や、とっくに地下に移されるべき筈の電柱などで、目も当てられぬ状態である。
    田舎へ出ると広告のために景色もみえない。・・・・彼らは、汚い小川のほとりできれいに包装された食事をポータブルの冷蔵庫からとり出す。夜は公園で泊ることにするが、その公園たるや公衆衛生と公衆道徳をおびやかすようなしろものである。

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  • 『建築はほほえむ』 松山巖著

    “景観”なんて主観的問題ではないですか!と言われる人にお会いすることがある。その方はもしかしたら環境問題に詳しく、地域でその活動に深く関わっている人かもしれない。そして、環境問題とは“地球環境問題”であり、住環境問題ではないのだ、と言うかもしれない。
    しかし、その環境問題活動家含め私達が日常目にしている生活空間にある住環境は客観的に存在し、都市景観を作り出している分子ともいえる建築はその重要な環境と景観の構成要素であることは紛れもない。

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  • 『英国の未来像』 チャールズ皇太子著

    1988年英国のチャールズ皇太子はBBCテレビで“Vision of Britain: A Personal View of Architecture”(英国の未来像:建築に関する個人的見解)という連続講演を行った。事例を多く用いたこの放送の反響は大きく、1万通余りの皇太子へのラブコールと、当然業界等の喧々諤々の議論がなされたという。この書はそれをもとに、翌年に同名の書籍として刊行されたものである。

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  • 『街並みの美学』『続・街並みの美学』 芦原義信著

    本書はかれこれ30年を生きてきた秀逸な景観論であり、著者は戦後いち早く都市景観の重要性を主張してきた。この書の狙いを著者は次のように言っている。
    「当時(1979年)は都市の経済的発展のみが目標で、ヨーロッパの都市のように、町の中心に広場をつくったり、彫刻を設置したり、軒線をそろえるというアイディアは皆無であった。・・・・・自分の土地に自分だけの考え方で建築をつくるということが主体で、まち全体の美学という考え方には到底ほど遠い現状であった。

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  • 『津波と原発』 佐野愼一著

    世の中が大きく変わるときには、その予兆と言うべき事件が起きる。明治維新を生じせしめた「黒船渡来」、第一次世界大戦勃発の引き金となった「サラエボ事件」、そして近代科学を一気に塗り替えた「相対性理論」、そこから生まれた核エネルギーの発見という具合である。 「相対性理論」からほぼ100年、2011年3月11日の「東日本大震災」はこの予兆の一つとして捉えられないであろうか。

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  • 『都市のイメージ』ケヴィン・リンチ著 丹下/富田訳 岩波書店 原著初版1960年訳

    私達は都市に対してどのようなイメージを持っているのだろうか。この書の原題は“The image of the City”であり、cityを都市と訳している。これはcitizenいわゆる市民がいるところを示しているのであろう。その市民の存在するところを英語では、物理的な大きさの順にmetropolis>city>town>village>hamletとなる。

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  • 『この最後の者にも』ジョン・ラスキン著 飯塚一郎訳

    アメリカ合衆国の貿易赤字が生じたのはかなり以前になるが、昨年度(2011年)日本が貿易赤字に転じたというニュースが世界のトップニュースで報じられている。エコノミック・アニマルと言われながらも貿易立国として世界を制覇してきた四半世紀の日本。そしてこの日本型システムのGDPが世界第3位に転落し貿易赤字の国になったということは、世界のうねりが大きく変化してきている証であろう。

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  • 『国民総幸福度(GNH)による新しい世界へ』 ジグミ・ティンレイ著 日本GNH学会編

    ブータン王国という美しい国がある。第5代国王夫妻が新婚旅行で来日し、東日本大震災で疲弊した日本に爽やかな笑顔を残していったのは記憶に新しい。チベットとインドに挟まれたヒマラヤ山脈南麓に位置し、面積は九州程度、人口70万人、2008年に立憲君主制になった国家である。その小さな国が国民総幸福度「総合的な形による人間の進歩を定義するもので、幸福の度合いの進歩を測る」という考え方で有名になり、この小冊子はその国のティンレイ首相が日本で行った講演をもとに出版された。

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  • 『日本美の再発見』 ブルーノ・タウト著 篠田英雄訳 岩波新書 初版1939年

    タウト(1880‐1938)は日本人に桂離宮の美を通して、日本の美を再発見してくれたことで有名である。ドイツ生まれの建築家であり、1933年ナチス政権が確立された頃、ナチスに対立する思想的立場によって身の危険を知らされ、急遽スイスからモスクワ経由でシベリア鉄道によって日本に亡命してきた。日本に滞在したのは僅か3年余りであるが、その時の印象記のほんの片鱗を開陳しこの70年以上にわたってロングセラーを続けているのが本書である。

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  • 『「フクシマ論」-原子力ムラはなぜ生まれたか』 開沼博著

    日本の歴史において、この風土に安住してきた人々に明治維新ほどあらゆる面において激震を与えた事件はないように思われる。維新によってもたらされた西洋文化の価値観は、江戸時代まで連綿と続いてきた生活価値観をすべてなぎ倒してしまうほどのものであった。
    現代では報道写真家という職業の人がいるが、それに当る報道画家として幕末日本に来日して日本で没したチャールズ・ワーグマンの『ワーグマン日本素描集』(岩波文庫)などを見ていると、150年も経ずしてこんなにも日常生活の風習というものが変わってしまうものかという驚愕の念と共に、日本人の環境適用性の素早さに、これは何であろうかという問いが生じてくる。

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  • 『宴のあとの経済学』E・F・シューマッハー著

    福島の大災害は今やヒロシマ、ナガサキを継ぐフクシマという世界語を創造した。同じ世界語のツナミがもたらした現在の福島はどのような未来を描いたらいいだろうか。これは福島の再興・復興のための単なる“まちづくり”を描くのではなく、全く新たなビジョンを提示するという事が要求されているのである。過去を無視するというのではなく、福島が持つ本来の豊かさを取り戻し、21世紀に向けて新たな豊かさを創造してゆくという課題である。そのためのバイブルとして本書をお薦めしたい。

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  • 『都市から見る世界史』J・コトキン著 庭田よう子訳

    今回の東日本大震災では多くの都市が津波にのまれ、記憶に残らないぐらいの壊滅的状況を呈した。都市とは人々が生きてきたその生活の証であり臭いである。それをまったく灰燼に帰してしまうのが自然の力というものであろうか。しかし、人類が生息している限り都市は人類の歴史そのものとして現れる。

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  • 『風景の経験』J・アプルトン著 菅野弘久訳

    人類が長い年月の間、環境から受けとり、また環境に与え続けた経験の蓄積が「風土」と言うものであるならば、そこに生きる人間一人ひとりの感情の交歓がなされたものが「風景」というまさに人類の文化の誕生を見ることになる。
    私達がその文化の誕生を、客観的に目に見えるものとして生活レベルまで落とし込む作業が、景観学の課題ではないかと考えられる。

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