• Book Review
  • 『現代日本の思想』久野収・鶴見俊輔著


    「景観とはその土地に住む人々の思想の現れである」とあえて私は言ってみたい。日本各地でも色々な景 観があり、世界のそれぞれの国々でも特色ある景観を示している。確かに、現代都市の典型といえば ニューヨークの摩天楼を想像される方もおられることであろう。しかし、ニューヨークを全く知らない 方々も地球上にはたくさんいるはずであり、その人達にとっての現代都市とはどのようなものを思い浮 かべるのであろうか。

    さて、思想を語る場合、宗教の存在は必見であろう。欧米の思想とはキリスト教が中心的存在であ り、東洋では道教、儒教、仏教、ヒンズー教、中東諸国ではイスラム教、そして日本の神道という宗教 を鑑み、それらの宗教を基本に諸々の思想が開花されている。しかし、その存在自体を信仰の対象にし ていない儒教と仏教は単に宗教とみなしては若干無理があるだろう。日本の思想を語るときこの神道と いう宗教が底辺にあり、そこに儒教と仏教という思想が入り込んだものといえよう。現代思想にスポッ トを当てる場合は上記基本思想を下に明治維新以降の思想、即ち現在から150年弱の日本思想の流れを 問うということになる。

    先ず、著者は日本の近代の夜明けとして白樺派を取り上げる。観念論として捉えてはいるが、明確な 近代思想としてヨーロッパ思想に強く影響を受けた思想潮流の始まりと考えられる。次に、マルクス主 義が思想の潮流に踊り出す。「アカ」と呼ばれた日本の唯物論の受け入れ は政治運動の思想として表れた。方や、日本思想は米国の影響下として、 プラグマティズム(実用主義)が大変根強く思想運動としてもてはやされ た。その後、昭和維新の思想として天皇を担ぎあげた超国家主義という思 想潮流による経済的大不況の克服、その流れは残念ながらあの侵略戦争へ と突き進む。そして、敗戦後はヨーロッパの実存主義が戦後思想家たちを 捉え現代に至るという流れを説明している。この書は1956年に発刊された ものであり、その後の半世紀余りの思想を語ることは私たちの責任に帰す ると言えよう。

    景観を語る時なぜ現代思想を問わなければならないか。それは、近代化 即ちモダニゼーション(modernization)によって日本人のライフスタイル が激変を被り、それはまさに景観そのものに表れているからである。明治 維新の頃、欧米諸国は産業革命の総仕上げの時代に入っていた。欧米世界 でもこの革命が大きく景観に影響を与えることになるが、日本においての 影響はその比ではなく、夏目漱石に「則天去私」といういわば諦めの思想 を思いつかせるほど、日本教養人の根本的思想を滅却させるほどの影響力 であったといえよう。(斉藤全彦)