戦争というものを体験していない者にとって、それが実際どういうものであるかを考えることは難し いことである。体験者の話を聞いたり、映像や書籍から得られる知識からしか判断できないのは、ある 意味からすれば戦禍の中にいない“平和”に安住していることであり、それは幸せということであろ う。しかし、戦時中に何が行われていたのかという真実を見つめることを怠ってはいけない、“平和” を持続可能にさせるためには。
ここに戦争遺跡なるものがある。①と②で取り上げているものは東京郊外“登戸”の明治大学生田 キャンパス内にあり、③・④・⑤・⑥は広島県尾道駅から西へ30キロほど行った忠海というところから 対岸2キロほどに浮かぶ小さな島“大久野島”である。それらは今や大学キャンパスへ、そして瀬戸内 に浮かぶレジャーアイランドへと変貌したところが、たった70年前のことではあるが、かつては生命を 絶滅へと追いやる化学兵器の研究所・生産拠点であったとは想像もできない。
さて、①はかつてどのようにこの登戸研究所が誕生したかを示し、研究内容とその体制、そして具体 的に物理学兵器/化学兵器/スパイ用品の研究・開発、偽造紙幣など経済謀略活動の展開を探求してい る。②は2010年に明治大学によって設立された明治大学平和教育登戸研究所資料館の展示内容を300 ページ程にまとめたものである。さて、広島というところはアウシュヴィッツと同等に語られる戦争遺 跡である。それは原爆被災という大量殺戮の場所ということからであるが、戦争は同じ広島で毒ガスと いう大量殺戮兵器も製造していたのである。③は⑥から刺激され一児童文学者が毒ガスという秘密兵器 を組織的に研究した初めての書籍である。④は被災者も含め実際に毒ガス製造にかかわった人達の聞き 取り調査である。⑤は現在の長閑な島の風景からは想像もできない戦時中の日本軍が実施しそして隠そ うとした真実を暴く。⑥は初めてこの島を毒ガス製造所として写真に撮りその戦争の真実を明らかにした。
“国家は「平和のために」戦争を起こし、犠牲となった人びとをたやすく切り捨てる。”良き景観と 良きコミュニティは“平和”が堅持されてこそ持続可能であることを明記したい。(斉藤全彦)