• Book Review
  • 『普通の人びと』C・ブラウニング著


    戦争と景観とコミュニティの関係について考察してゆくと、この『普通の人びと』は必読の書ではな いだろうか。副題は『ホロコーストと第101警察予備大隊』というものである。普通に生活していた、 歴史に特別に取り上げられる人びとではない500人という人達が、2年間で38,000人の普通のユダヤ人に 対し戦争という理由で“射殺”という行為を実施した。著者の研究の発端は、第二次世界大戦終了の20 年後実施されたこの500人の警察予備大隊員への裁判が残した起訴状への著者の出会いからだという。 著者は隊員に対する公判前尋問からの膨大な証言を調査し、普通のドイツ人が行った大量殺戮という行 為を、ある意味でアメリカ人であり歴史家という立場によって客観的研究が可能になったのではないだろうか。

    「1942年3月中旬時点ではホロコーストの全犠牲者のうち、75~80%の人びとが生存していた。それ からたった11カ月後の1943年2月中旬までに、この比率は丁度逆転し、なお生き延びていた者は、全犠 牲者の20~25%に過ぎなくなった。ホロコーストの中心には、大量殺戮の短期集中的な高波がある。こ の大量殺戮の中心はポーランドにおかれていた。」という。そして、この第101警察予備大隊なるもの が、戦争が激化し人員補充のため、前線には通常の招集対象とはされなかった年齢高目の通常市民が、 警察の予備と称して急遽集められたのである。警察の予備ぐらいの仕事という気持ちで来た殆どハンブ ルグ出身の500人が送られた場所はポーランドのとある町であっ た。彼らがホロコーストの任命を受けたのはまさにポーランドに ついてからであり、“射殺”という仕事はユダヤ人に対してから で、何人もの人々が、その仕事に尻込みをし、実際“射殺”を 断った人もいたという。しかし、著者はこの調査を通じて通常の 市民が集団行動の通例に従い、人類史上極悪非道な犯罪への熱心 な参加者に変貌してゆく様を証明している。

    ホロコーストの風景といえば、曇り空の中のアウシュヴィッツ 強制収容所の遠景が脳裏をかすめ、大量殺戮が実施された場所は まさにその強制収容所ではあったが、それは凡そ600万人の中の7 割であり、残りの3割は人の手で実施された“射殺”という「汚 れ仕事」であったという。戦争はすべての人間に悪夢をもたら し、その夢は永久に消えないという。

    戦後70年の日本は平和を選びそれを存続してきた。しかし、戦 後日本人は日本人がアジア諸国でホロコーストをやったという歴 史の真実を学んでいない。“歴史の真実”を学ぶことによって、 私たちはアジア諸国の人びとと話し合ってみてはどうだろうか。 (斉藤全彦)