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  • 『風景の経験』J・アプルトン著 菅野弘久訳


    人類が長い年月の間、環境から受けとり、また環境に与え続けた経験の蓄積が「風土」と言うものであるならば、そこに生きる人間一人ひとりの感情の交歓がなされたものが「風景」というまさに人類の文化の誕生を見ることになる。

    私達がその文化の誕生を、客観的に目に見えるものとして生活レベルまで落とし込む作業が、景観学の課題ではないかと考えられる。

    景観まちづくり活動はこの「風景」を常に念頭に置くことを忘れてはならないであろう。J・アプルトンの『風景の経験』の原題は、”The Experience of Landscape”となっており、ランドスケープを景観と訳してみることは可能であるが、私達が生きてきた自然環境のなかで経験されてきた感情の交歓を人類レベルで探究しているこの著書を紐解くと、訳者の『風景の経験』と“風景”を用いた意図が明らかになる。

    さて、アプルトンの著作意図は明確である。「私達は風景のどのような点を好むのか、その理由は何か」という疑問に応えようとしたことである。そのために、彼は地理学者として風景に関する多様な研究分野を整理し、「風景とは、まったく人の住んでいない地域を除けば、自然による作用と人間による作用が互いに働いて生まれるもの」と定義する。

    古今の文学作品、18世紀ならびに19世紀の風景画を中心に、庭園および建築などの分析後、ジョン・デューイの『経験としての芸術』に辿り着く。そして、動物としての行動と環境との関係に至り、コンラート・ローレンツの動物行動学を援用することにより、風景経験の充足感は人類の種の保存に有利に働くという観点から、アプルトン独自の「生息地理論」および有名な「眺望-隠れ場理論」が提唱され、風景美学理論の先達となる。

    J・アプルトンは1919年英国リーズで生まれオックスフォード大学で地理学を学び、現在はハル大学名誉教授である。第二次世界大戦では良心的兵役拒否者として行動したという。そのことは、風景を愛する人である彼にして、平和を愛することの証となるのではないだろうか。(斉藤全彦)