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  • 『ブリューゲルへの旅』 中野孝次著


    随分前になるが、ブリューゲルの絵に出合ったのは『農民の結婚式』が初めであったと思われる。今まで見てきた、また、西洋絵画として受け止めてきた絵画とは全く異なる風合いと色調に唖然とした記憶が残っている。

    西洋絵画といえば、イタリアルネッサンスを起点とした連綿と連なる重厚な絵画を常識として受け入れてきた若き脳髄には、ブリューゲルとの出会いは衝撃であった。それは、西洋文明という確固たる理性を基幹とする合理主義の歴史観を真っ向から覆すエネルギーを持つものであった。

    ピーテル・ブリューゲル(1525-1569)は現在のオランダに当たるネーデルランドの画家である。時代的には、日本では桃山時代の長谷川等伯(1539-1610)並びに狩野永徳(1543-1690)とほぼ同時代の画家であり、ヨーロッパ史の中では宗教改革という桎梏を越えなければならない時代に生きた人である。

    さて、ブリューゲルの画を見ると、“どこに視点を置くべきか”ということに戸惑う自分に出会うことである。中野は「ブリューゲルはいわばこっちにたいして視覚の革命とでもいうべきものを要求している」という。

    この本の表紙にも使われている『雪中の狩人』でもその景観の中には、何か近代への移行を拒否するかのようなものが蠢いているようだ。「彼のもっともすぐれた画はみな帰る姿を暗示している。始原へのリターンこそが、生命の元に戻ることだというように。」という中野の指摘はブリューゲルの画の本質の一端を示している。

    人類が生きてきたその糧となるものは、すべて大地の恵みからである。現代文明の特徴はこの大地というものを末梢してしまったところにあるのではないか。産業革命は人類に計り知れない物質的富を齎したと言えるかもしれないが、人類自身が大自然の恵みによっていまだ生かされているという当たり前のことをすっかり忘却してしまったのである。

    ブリューゲルの画から「この地上にあるがままの姿において、人間は愚かなまま、無用なまま、あるがままにその全存在を肯定されて、大自然の中にいるのだ。」と中野が指摘するときは、ブリューゲルの大自然の景観賛歌というべき『乾草づくり』『麦刈り』の画が念頭にある。そして、近代合理主義が生みだした核エネルギーを思うとき、まさに『バベルの塔』という500年ほど前に人類の未来を予告するかのような恐ろしいほどの都市俯瞰図を描いたブリューゲルの胸中を考えざるを得ない。大地の恵みとそれを生み出す景観を忘れてはならない、と。(齊藤全彦)