• Book Review
  • 『なぜ日本は没落するか』 森嶋通夫著


    私達が景観を見るとき無意識にもパースペクティブを心のどこかに備えているはずである。ではこのパースペクティブというとき何を心に描いているのであろうか。

    辞書では、遠近法、見通し、見取り図などと書かれているが、パースペクティブを持たない景観というものは景観としての形態として現れてはこないのではないかと思われる。現代日本社会が、ここまで混乱してくると、まさにこのパースペクティブがどこにあるかを問いたくなるのは私一人であろうか。

    森嶋通夫(1923-2004)といえばノーベル経済学賞の候補に何度も挙げられた、日本が生んだ数理経済学者であるが、その活躍の場は殆どがイギリスのロンドンであったというのは、歯に衣着せぬ直言こそが彼のモットーとすれば、むべなる哉、日本社会は森嶋のようなスケールの大きな人物を受け入れることができなかったのであろう。

    森嶋といえば1977年に『イギリスと日本-その教育と経済』を著し、経済学者でありながら、いかに教育問題の社会に与える影響が大きいかを日本社会に警鐘を鳴らしたことで有名である。

    その彼が、無念の思いでほぼ20年後に日本社会に問いかけたのがこの書であり、日本政治の貧困の理由が根源的に説明され、明治維新・軍国主義時代の昭和維新と自由主義の関係、そして戦後の教育が記憶ばかり重視し、考えない若者を生んだ理由が冷徹に解明されている。

    森嶋は2050年の日本社会はこのままで突き進むと間違いなく没落すると予言している。それを回避するためには日本は今までの成功体験を一切捨てて、日本のパースペクティブとして「東北アジア共同体」構想を目指すことを諭している。これはまさに、自分の生きている社会を何とか良くすることが学者としての義務と責任であり、当然の良心の声であるという、彼の強いメッセージ且つ遺言でもある。森嶋は我々に課題を突きつける、「日本はアジアの中でどういうふうに近代化(西洋化)されたか」と。

    景観問題を考えるとき社会問題を考えるなんて間違いではないか、という言い方は景観に関して何も見ていない人たちであろう。「良き景観の下には良きコミュニティがあり、良きコミュニティは良き景観を創造する」という私達フォーラムのテーゼからすると、社会問題は景観問題に直結し、そして正にに現在待ったなしの問題として人類に突きつけられている地球環境問題に対峙する事にもなるのである。(齊藤全彦)