• Book Review
  • 『田端文士村』近藤富枝著 中公文庫 原著初版1975年刊


    作家は風景をどのように見ているだろうか。この書は取り立てて田端の風景そのものを論じているわけではない。むしろ、文学者を中心とした芸術を愛し、芸術を生業としている群像を田端という地に垣間見ているのであろう。主人公は、芥川龍之介(1892-1927)。そして脇役は室生犀星(1889-1962)である。芥川はシャキシャキの下町江戸っ子であり、犀星は金沢出身の田舎育ちである。芥川を中心とした人間模様、犀星を慕ってくる人たちの生きざま。それらが「アトリエ付きの家がところどころにあり、白いエプロンをかけた女給のいるカフェーや、モダンなパンもあって若々しかった」田端という当時は大変新しい田園都市の中で醸成される様が謳われている。

    この芸術家村のスタートは東京芸大に通っていた陶芸家板谷波山が住み着いたところから始まる。当時の田端の印象は「一面の菜畑と桃林で、夢のように美しい村だった」という。今では全く想像もつかぬ場所であり、「大根と里芋はこの地の特産物であった」という指摘には、近代化に成功したと言われる東洋の奇跡である日本というこの国の変貌はいかばかりか想像を超えたものがあるのかもしれない。

    この地は作家ばかりではなく中川一政、岡本一平/かの子夫妻、木村宗八、などの画家も多数集まり、また彼らを経済的に支えるメセナたちとして鹿島建設の御曹司、鹿島龍蔵、そして出光興産創業者である出光佐三などが住み始めたのである。このメセナたちは、唯唯、芸術家を経済的に支えるという意義よりも、彼ら自身が実に芸術を愛し、そこに生きそのような生き方を愛でた人々であった。

    近代日本文学を語るとき夏目漱石は当然言及せざるを得ないが、35歳という夭折した芥川龍之介の絢爛たる輝きは決して無視することは出来ぬ存在であろう。一見気難しい印象を持つ芥川は、この書からの印象はサロンの中心的人物であり、実に人間好きのする人であったようだ。そこに、日本の近代詩歌の始まりを告げる室生犀星の憎めぬ人柄で飄々と人に接する人物像がこの田端という地で生き続けている。

    景観を語るとき、私達はそこで長い時間が醸成した文化の香りがする風景を前提としている。人間の生業がどこからともなく匂い、そしてそこで生きた人々の足音がどこからともなく聞こえてくるような風景が必ず景観の奥には存在し、それこそを見出すことによって私達は限りない喜びを体験できるのである。(斉藤全彦)