• Book Review
  • 『茶色の朝』フランク・パヴロフ著 ギャロ絵 大月書店 原著初版2001年刊


    景観を考えるとき、ひとは風景という概念に心を向けるのではないだろうか。先ず、私にとっての風景を考え、皆で論ずるときにはそれを景観という概念に置き換えるという仕方だ。即ち、風景は個人的であり、景観は客観性が前提となる。しかし、現代社会の風景はどんなものなのであろうかと問いかけるとき、それを景観とは言わない。それぞれの現代を示す時代精神といえるもの、それをひとは社会の風景と言ったりする。

    それでは現代日本社会の風景はどのようなものであろうか。日本社会を論ずるとき、戦後の高度経済成長という概念がキーワードではないかと思うが、それを表す時代の風景はどんなものであったろうか。そして、石油危機を乗り越え、バブル景気のあの沸騰したような社会はどのような風景であったろうか。それから失われた20年とか言われる現代に通じる日本社会は一体どんな風景に映っているのだろうか。

    フランスでベストセラーになったパヴロフ著・ギャロ絵のこの『茶色の朝』は、ほんの30ページほどの小さな絵本である。それも子供が読むようなものではなく、れっきとした大人が読む絵本である。フランスとブルガリアの二重国籍を持つ心理学者パブロフが文章を書き、映画監督、俳優、画家、写真家という多彩なアメリカンのギャロが絵を担当したこの大人の絵本は、まさに現代社会の風景を論じている。

    ある国のなかで猫、犬、新聞、ラジオ、本、人々の服装、政党の名前、そして朝までも、何もかもが茶色にそまってしまったらその社会はどのような風景か。「茶色はナチスを連想させるだけではありません。そのイメージがもとになり、今日ではもっと広く、ナチズム、ファシズム、全体主義などと親和性を持つ極右の人々を連想させる色になっています。1990年代に入り、東西冷戦が終結すると、西ヨーロッパでもそれまでのイデオロギー対立が後退し、民族・国民的アイデンティティによりどころを求める動きが強まって、各國各地域に極右運動が台頭しました。」という哲学者高橋哲哉が指摘することは現代日本でも厳然として表れ始めている。現代日本社会は全体主義という歴史を体験した人々が少なくなる中、この「茶色の朝」というものが、物珍しく見える風景となるのであろうか。

    歴史は繰り返す、とはよく言われることだが、今こそ憲法9条を持つ輝く市民として、より高い民主主義の理想を世界に問いかける義務があるのではないだろうか。ルネサンスは大いに繰り返してほしい歴史であるが、全体主義はご免こうむりたい。(斉藤全彦)