• Book Review
  • 『風景学-風景と景観をめぐる歴史と現在』中川理著 共立出版 2008年刊


    「景観なんて主観的問題ではないのか!自分がいいと思えば良いし、悪いと思えば悪いのではないか!即ち、学として論ずるに値しないというものだ!」また、「良いとか悪いとかいうような二者択一はどうかと思う。」と言うご意見もある。

    しかし、景観は風景とは異なり、コミュニティが共有するという大前提がある。風景は人間がかかわる環境への反応であり、私達が自分の生命を維持する何かを持っている。解り易く言えば「風景」は個人が持つ生きるための基本であり、「景観」とはその風景を持つ一人ひとりの集まり即ちコミュニティとして、客観的に論じられる対象である。

    景観を論ずる場合、その前提として風景というものをじっくり考える必要がある。

    この「風景学」はその辺のところをしっかり捉えており、「景観」を論ずるための必読書と言える。

    著者はまず最初に「風景は主観的な審美的判断が含まれるのに対して、景観はより客観的で普遍的なものとして捉えるのが一般的な解釈だ。」と高らかに宣言する。そして「景観はその後、眺めに対してより客観的な評価が必要になって波及した言葉」と指摘する。

    第1章風景以前の風景、第2章風景の発見・・第5章近代主義が作る眺め、という具合に人類が風景をどのように把握してきたかという問題に接近し、第7章風景から景観へ、という問題に入り日常生活の中で風景と景観がどのような関わりを持ち、歴史的変遷と現在の風景と景観の問題を提示している。

    第1節では風景が介在しない眺めとは何かに答え「風景価値の共同が困難となる背景には、都市に生活する人々の共同性そのものが極めて不安定で不確実なものになってしまった事態があった」としてコミュニティの問題に触れている。

    第2節で風景に代わる景観、第3節は美しさから快適さへ、として美に代わる根拠を提示する。

    第4節景観工学の成立として行政の対応を述べ、第5節景観の矛盾として、現代の景観生態学を論じている。そして第9章では郊外風景の没場所性という極めて現代における景観問題を取り上げる。

    風景を景観Landscapeの基底と考える時、景観は視覚だけではなく聴覚・触覚・味覚・臭覚という人間の五感すべてを前提にすると言わざるを得ない。確かに、視覚は景観の大きな部分を占めてはいるが、音景観Soundscapeも人間の感覚の大きな要素になっている。まさに景観とは、過去から人類が体験してきた生の記憶であり、その記憶と今現在体験しつつある観念との協働作業である。(斉藤全彦)