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  • 『日本の景観 ふるさとの原型』 樋口忠彦著


    本書は1981年春秋社より刊行されたものを文庫化したものであるが、この書の6年前に著者は『景観の構造-ランドスケープとしての日本の景観』を著しており、この『景観の構造』が景観工学の観点から日本の景観を分析しているとすれば、『日本の景観』は、文学的・哲学的観察によって日本の景観の質的分析が深められ、景観論そのものを論じているゆえに、まさに景観の文化論というべきものである。

    樋口は先ず、人間には“心の中の風景”と“眼前の現実の風景”という二つの風景があり、人は心の中の風景を本当の風景と思っている節があり、「時代とともに風景が変化していくという事実をなかなか認めようとしない」という。

    では、何故人は心の風景にこだわるのであろうか。それは、子供の頃の体験が生涯変わらない記憶として心の中に「刷りこまれた」風景として保持され、この風景が跡形もなく失われてしまうと、人は記憶喪失に陥る。また、心の中の風景は、人類学的に人間と環境との長い履歴にかかわり、「人間の生活がそのまわりの環境としっくりと適合調和した時の最も心地よい風景の人類発生以来の様々な名残りであるようだ」とする。

    即ち「人々の心の中には、どの人にも共通して好ましいと思われている風景が、ひっそりと息づいているようである」と。それ故、人々は心地よい代償風景の数々を求めることになり、それが、芸術などの表現としいて諸々の文化現象になるという。

    第1章では「日本人の自然観と風景観」について日本人が古来から生きてきた環境とのかかわりについて“もののあわれ”などを論じながら考察する。第2章では「日本の景観」として具体的に盆地、谷、山の辺、平地を分析し、日本の景観のありようとその景観が人間の手でどの様に作られてきたかを論じ、日本の景観の原型を探っている。そして第3章では「生きられる景観」とし、それは「住みこまれ生きられている好ましい棲息地の景観を生きられる景観」と定義し、その生きられる景観と美しい景観、自然の景観、都市の自然、都市の景観とのかかわりについて考察する。

    著者は「風景は人間がよりよい生活を求めて生きていくかぎり時代とともに変化していくものであるということ、そしてその変化は人間の力によって好くも悪くも統御できるものである」と宣言する。景観のありようは人間の生業の責任であり、良き景観を創造するためにもこの書は景観論のバイブルではないかと思われる。(齊藤全彦)