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  • 『日本美の再発見』 ブルーノ・タウト著 篠田英雄訳 岩波新書 初版1939年


    タウト(1880‐1938)は日本人に桂離宮の美を通して、日本の美を再発見してくれたことで有名である。ドイツ生まれの建築家であり、1933年ナチス政権が確立された頃、ナチスに対立する思想的立場によって身の危険を知らされ、急遽スイスからモスクワ経由でシベリア鉄道によって日本に亡命してきた。日本に滞在したのは僅か3年余りであるが、その時の印象記のほんの片鱗を開陳しこの70年以上にわたってロングセラーを続けているのが本書である。

    「すべてすぐれた機能をもつものは、同時にその外観もまたすぐれている」というのがタウトの一貫した哲学であるが、これは単に功利的で且つ有用性のみを重要視するという事ではない。

    彼は日本のあちこちをまわり、日本が持つ風土とそこに働き住んでいる人々と住まいとをじっくり観かつ考えた。この書で彼は先ず『日本建築の基礎』という論文で、当時のヨーロッパ人が日本から学びとったものが、「清楚、明澄、単純、簡浄、自然の素材に対する誠実等の理想化された観念」というものであったと言う。

    そして、現代の日本人が見失ってしまった床の間を「文化、芸術および精神的な所産を置くべき定めの場所として、世界に冠絶した創造である」と明言する。また、世界遺産に登録された飛騨白川郷の家屋を「その構造が合理的であり論理的であり、ここに用いられている大工の論理が、総ての点でヨーロッパのそれと厳密に一致している」という指摘は先の機能と外観の関係を言い当てているといえよう。

    次の『日本建築の世界的奇跡』の論文では「小堀遠州の芸術は、眼を思想への変圧器にする」と喝破し、いかに仏教建築からの離脱がその後の日本の美を決めたかを明示する。そして、この書には東北地方を隈なく廻った記録が記載され、日本がもつ自然美の素晴らしさに詠嘆してやまない。さらに彼は日本の農業から生まれる農業文化の重要性を指摘し、日本人と農業文化の関係こそが日本の美の根幹を支えているという。

    さて、70年余りを経た日本列島は今日タウトの指摘する日本の美をどのようにしただろうか。最後の『永遠なるもの』と言う論文で桂離宮を論じた後、彼は次のように述べている。「私達は日本で実に多くの美しいものを見た。しかしこの国の近代的な発展や、近代的な力の赴く方向を考えると、日本が何かおそろしい禍に脅かされているような気がしてならない。」タウトの日本研究は豊饒であり、今後タウト研究が「景観から考えるまちづくり」に活用されることを願う次第である。(斉藤全彦)